「水戸黄門vs.ワイアットアープ」

 

▼…日本のテレビで人気番組というと水戸黄門、大岡越前などの名君物語。米国では西部劇。前者が問題の処理を「お上」に委ねるのに対し、名君不在の後者は自らの試行錯誤によって解決する。政治学者の松下圭一さんは、政治に対する両国の国民性について、そんなふうに表現している。

  ▼…「お上崇拝」の風潮は、国と地方との関係では、「上意下達」の形を取る。岩手県の調査によると、昨年4月の地方分権整備法の施行で根拠を失ったはずの国からの委託事務が76件にも上った。このうち県が拒否したのは、自衛官募集事務委託費の市町村配分事務の1件だけというから、やはり「主従関係」は根強く残っているようだ。

  ▼…混乱する成人式の実態報告を都道府県を通じて全国の市町村に求めたのも、根拠が薄弱とされる。本来、社会教育の一環として市町村が取り組む事業なのだから、国が全国一律に仕切るのは無理がある。報告を上げれば、来年どうすればいいか、そのうちお沙汰があるだろうと、考えている自治体があれば、これは情けない。

  ▼…西部劇に描かれた保安官ワイアットアープは「正義」だが、隣の町では「賭博狂いの悪者」とされている。町がそれぞれ独立した政府としてルールを定め、似通った価値観の人が集まるから、そんなことも起きてくる。銃による決着は好まないが、市民自治の発想は学びたい。

(9.Feb,2001 梶田博昭