「像間」を読む

 ▼…CNNが流した、NYのテロ爆撃に歓喜するパレスチナ人の映像は、もう一つの衝撃だった。米国人の感情を逆撫でし、星条旗の下に国民が結束するムードを高めるのに十分な効果ももたらした。ところが、これを「捏造映像だ」とする学生の指摘が世界のインターネット上を駆けめぐり、CNNのニュース担当役員が釈明する騒ぎにまで発展した。

  ▼…もっともらしい数字と同様、いかにもありそうな映像もまた、疑ってかかるべきだろう。人間の感覚に直接入り込むだけでなく、現代ではアッという間に広がるだけに一層厄介だ。特に報復攻撃をめぐるニュースは、戦場という一種の密室を舞台にしているだけに、「映像のマジック」が紛れ込む余地は少なくない。

 ▼…落とし穴にはまらないためには、疑ってかかるしかない。まず、誰がどうやって撮った映像か。次に、映像に必ずくっついてくる「注釈」を疑ってみる。注釈を一応信じるとして、今度は映像の方を疑ってみる。どんな映像もカットされたものだから、そのカットされた部分を想像する。さらにそのシーンの前後の脈略を読み取ってみる。

  ▼…「歓喜の捏造疑惑」は、学生の憶測の産物として幕を閉じたが、あの映像が「歓喜」の意味を全て語っているわけではない。映像に限らず膨大な情報があふれる現代だからこそ、個々人に情報を読み取る能力が求められている。垂れ流しメディアの問題もあるが、情報の受け手も賢くならねば。

  (8.Oct,2001 梶田博昭)