「スカルパ式まちづくり」

 ▼…知人の建築家によると、建築設計の現場において、今やコンピュータは神の存在となっている。CADが描き出す図面は、美しく精緻であり、効率性に優れている。だが、その無機質な美は、本来納まっていない所を納まっているかのように見せる危険性を含んでいる。一方、人間の手による図面には、自ずと設計者の思考の痕跡が現れるという。

  ▼…何をつくりたいのか。何が問題となっているのか。時に苦悶の跡が図面に現れるのだという。確かに、建築物が人間と無縁の存在でない以上、コンピュータの対極にある人間のリアルな感覚や生活は、数量化・記号化できない。そうした意味で、建築は本来、非常にアナログ的な思考が源泉になっている。

  ▼…イタリアの建築家、カルロ・スカルパ(1906-1978)の図面は、美しいドローイング・スケッチで知られる。代表作であるカステルベッキオ美術館は、ドアや窓、階段の手すりといった細部に独自のデザインが凝らされている。それらの部分が独立した美しさを保ちながら連なり、建物全体を形づくっている。

  ▼…そんな話にまちづくり・合併論議を重ね合わせてみた。こちらももまた、デジタル思考や効率性だけでは論じられないものがある。全体の統合は必要でも、そのことによって部分が光や生命力を失ってはならない。むしろ、スカルパ流に「部分からの発想」を大切にすべきではないだろうか。光は細部にこそ宿るものなのだから。

(10.Dec,2001 梶田博昭)