ムネオハウスと女性大尉

 ▼…北海道庁のロビーに「北方領土返還、道民はまだ諦めない」といったニュアンスの標語が掲げてあった。「試される大地」のコピーとも共通した、切れの悪さ・もどかしさを感じるのは私だけだろうか。領土領土と騒いでも、ムネオハウスの経済効果がお目当て、というのならまあ分からぬでもないが。

 ▼…記者時代に、元島民の話を聞いて回ったことがある。終戦当時18歳だった女性は、ソ連の女性大尉の写真を大切に保存していた。マリー大尉は窮地を救ってくれた恩人であり、共同生活の隣人でもあった。3年間の触れ合いの体験から「いつか返還につながる」と元島民は信じた。

 ▼…出会いの舞台は択捉島であったから、二島返還となると、その願いはかなわない。しかし、考えてみると、歯舞・色丹合わせても北方領土全体の8%の面積に過ぎない。半分というのは見せかけで、実際には12分の1なのだ。何よりも、安政元年(1855年)日露間で初めて結んだ領土条項を、自ら反故にすることになる。

 ▼…ロシアとの交渉に当たった幕府の全権大使は、川路聖謨。下級武士の出であったが、外交手腕は「ゴンチャロフ日本渡航記」で絶賛されている。「一言一句、一瞥、物腰までが、良識と機知と烱敏と練達を顕していた」と。現代の外交官と政治家にそこまで求めるのは、やはり酷か。

(11.Mar,2001 梶田博昭)