100回の出前講座がまちを変えた

 ▼…ベルリン映画祭で「千と千尋の神隠し」がグランプリに輝いた。制作者・宮崎駿の最初のヒット作は「風の谷のナウシカ」だが、その興行収入をつぎ込んで制作されたのが、ドキュメンタリー映画「柳川堀割物語」(87年)だったことはあまり知られていない。主人公・広松伝さんは、福岡県柳川市の都市下水路係長だった。

 ▼400年の歴史を持つ堀割(水路)は汚れ、市は下水道化の道を選択した。これに奮然として反対したのが広松さん。市長に直談判する一方、住民自身の手で堀割を再生し、環境と文化を守る道を説いて回った。新聞は「係長の抵抗」と書いたが、「説明と説得」がついに政策を転換させた。

 ▼…総延長470km、石狩川の実に2倍近い。汚泥をすくい、浄化槽を設置するなど、堀割の浄化は、住民の協力なくしては進まなかった。川とのつき合いは面倒ではあったが、水郷独特の風情が甦り、今では年間100万人もの観光客が訪れる。堀割は柳川の象徴であり、住民の誇りにもなっている。

 ▼…今考えると、広松さんは「出前講座」を先取りし、住民と行政の協働によるまちづくりの実践者であった。退職後は、「水の憲法」の伝道師として講演行脚した。「水は私の命ですけん」が口癖だった。柳川の堀割には花菖蒲が良く似合うが、満開の季節を前に元係長は逝ってしまった。

 (10.Jun,2002 梶田博昭)