城塞とガバメント

 ▼…機能美と様式美を極限まで追求した城に興味を持ち、旅先で時間があれば登城することにしている。余りに俗化(観光地化)していてがっかりさせられることもあるが、わずかに土塀を残るだけの多賀城址(宮城県)に佇むと、1千年の時空を超えていにしえ人の息づかいが聞こえくるようだった。

 ▼…血生臭い雰囲気がないのは、軍事施設としてよりも「政庁」としての機能が重視されたためだろうか。正殿の左右に脇殿が配置され、復元図を見ても、宮殿のイメージに近い。周辺に名勝も多く、和歌を好んだ都人のあこがれの地でもあったというから、むしろ文化の香りを感じる。

 ▼…ここから約10km離れた伊達政宗の菩提寺・瑞巌寺の方が、はるかに軍事施設としての機能を持っている。実際、政宗は大伽藍造成と同時に、万が一仙台城を捨てて逃げ込む事態を想定し防御の工夫を凝らした。「前は海、後ろは山」と斉太郎節にあるように、松島の地形を生かして。

 ▼…堅固な仙台城に比して武田信玄の居城・躑躅(つつじ)ヶ崎館(山梨県)は質素な造りで驚く(実際には有事の備えが随所にある)。「人は城、人は石垣」の象徴とされるが、国境での合戦勝利を最重視した信玄の軍事哲学に基づく。裏切りが常の戦国時代にあって、領内の人心掌握に絶対的な自信があったからだろう。

(17.Sep,2002 梶田博昭)