来るか地域主権時代〜五つの村と七人の侍に学ぶ

情報共有を起点に、コミュニティの潜在力を引き出せ

地域メディア研究所代表・梶田博昭

(本稿は社団法人・日本広報協会発行の
「月刊広報」2003年3月号に掲載されたものを再編集しました)

 

1.「フォーラム機能」が問題を解決

 2005年3月に向けて、市町村合併の動きが全国的に急展開を見せています。この4月、静岡・清水両市の合併で面積が日本最大の都市が誕生する一方で、群馬県万場町と中里村は人口合わせて3千人のミニ合併に地域の生き残りを託します。小規模町村廃止の方向を打ち出した「西尾私案」が地方自治に新たな一石を投じ、北海道ニセコ町の逢坂誠二町長らによる「小さくとも輝く自治体」構想が、静かな波紋を広げています。ここで紹介するのは、これからの自治のかたち・地域の未来を暗示する5つの村の物語です。

【黒澤村】

 黒澤村の存在は海外にも知れ渡っていますが、その場所は定かではありません。人口約300人(推定)が寄り添うよう暮らす農村はある日、降ってわいたような危機に直面しました。住民同士で激論を交わし、長老の意見を聞き、村の生き残りを7人の男に託したのです。

 ■連携・分担そして協働型コミュニティへ

 私が、この映画の舞台となった村に関心を寄せるのは、地域の共通の課題に住民が取り組み、議論し、問題解決のために自ら行動するという、住民自治の原点が見て取れるからです。野武士の一団を合併問題に見立てると、全国の市町村の77%を占める小規模自治体(人口3万人未満)の多くが、黒澤村と同じような状況に追い込まれているともいえます。

 また、野武士をゴミ問題や騒音、防災問題に置き換えると、黒澤村は、都市の町内会でもあるのです。市役所の市民課長を描いた「生きる」(1952年公開)で官僚主義を鋭く衝いた黒澤明監督が、「七人の侍」(1954年公開)でコミュニティという現代的なテーマにも切り込んでいたことに驚かされます。

 エゴの対立さえ見せた激論の末に、志村矯扮する勘兵衛が一喝します。「他人を守ってこそ自分を守れる。己のことばかり考える奴は、己を滅ぼす」。当時は自衛隊問題と関連付けて物議を呼んだ「名せりふ」ですが、コミュニティにおける住民同士の連携や、行政と住民の分担・協働といった今日的な課題に対するメッセージとも受け取れます。

2.住民の絆を原点に地域を考える

 住民自治の視点から黒澤村を解剖してみると、「情報の共有」「知の蓄積」「問題解決・課題克服法の発見」「合意の形成」「分担・協働による実践」という自律の機能がきちんと働いていることが分かります。しかも、問題解決のために、農民が武士を雇う、という極めて斬新な発想を取り入れています。

  目的達成のためには既成概念に捕らわれないという点では、昨今の改革派首長の手法と共通するものがあります。

【黄海村(藤沢町)】

 さて、現実の黒澤村を探すとなると、なかなか見つかりません。考えてみると、お役人が登場しない黒澤村では、住民自信が問題を解決しなければならない。これを現代に当てはめると、「役所任せ」が結果的に住民自治の可能性を狭めているのかもしれません。

  私が出会った中では、岩手県の藤沢町が「現代の黒澤村」に近いかなと思っています。

 ■地方の発想が国を変えて行く

 藤沢町は、住民による「ミニ開発計画」づくりや、町職員による地域分担制などを取り入れた「協働型まちづくり」の先駆的モデルとしてよく知られています。しかし、最も注目すべきは、44の自治会が「黒澤村型コミュニティ」として機能している点です。

 その一つ、旧・黄海(きのみ)村地区を訪ねると、コミュニティのベースとなっているのが、住民間の強い絆にあることが分かります。絆は、伝統的な地縁関係を底流に、北上川の氾濫から田畑を協同して守るという歴史の中で培われたものです。住民同士が互いに見える距離にあるから常に情報を共有し、納得し合うためには時間と議論を惜しまない。

 「地域を拠り所として、地域からまちづくりを考える」ことにより水害や過疎を克服してきたから、「合併も怖くない」というのです。利害が重なり合う地域の結束を重視する点で黒澤村と共通しており、実は都市の町内会などにおいても十分に通用する考え方ではないでしょうか。

 国から県へ、県から町村へ、町村から住民へと向かうのではなく、住民(地域)を起点としたまちづくりは、地方分権時代(私は地域主権時代と呼びます)の主柱とも考えられます。国の制度の矛盾を突いて藤沢町が実践している「幼保一体教育」はその良い例です。20年遅れて構造改革特区の枠内ながら、文部省が門を開いたことは、地方が国を変える時代の到来を物語っています。

 「大事なのは制度ではなく、住民の視点。国の言いなりになるのは、地方自治ではなく地方他治」。佐藤守町長の言葉は、住民の高い自治意識が大きな背景となっているのです。

3.地域産業が自律の基盤を支える

 合併しない・できない小規模自治体については「市町村事務の全部または一部を別の行政主体に移管する」とした「西尾私案」が、大きな波紋を広げました。特に、私の住む北海道では、かつての「二級町村」と重ね合わせ、危機感を募らせる自治体が多く見られます。212の市町村のうち約70%が人口1万人未満ですから、なおさらです。

【お登勢村(静内町)】

 「二級町村制」は北海道限定の自治制度で、1902(明治35)年からスタートしました。町村長は官選で、助役はおらず、議会には条例制定権もなし。地域は、国による保護を受けると同時に強い統制下に置かれたのです。

 ■愛郷心と風土を生かす工夫

 競走馬の産地として知られる静内(しずない)町の二級町村時代の記録を見ると、役場吏員は村長以下数名、歳出の大半が役場の管理費と村医費で占められています。1923(大正12)年、村長が北海道長官に宛てた一級町村昇格の嘆願書には、こう記載されています。

 「村を町と改称し、以て人心を振興し本村将来の使命之に処する覚悟を徹底せしめ、永遠の発達を要望すること切なり」 自治権確立は、住民の悲願であったことが読み取れます。

 もう少し歴史を遡ると、静内に本格的な開拓の鍬を入れたのは、明治維新を背景に徳島藩から分藩独立した淡路島の稲田家一族でした。他藩からの入植組の多くが挫折する中で、村の礎を築いていく様子は、船山馨の小説「お登勢」にも描き出されています。

 北海道庁の史料には「自立の産に着き一区の富境と相成候、士族は自ら廉恥を知る、教ふれば北海道中の美風俗となるべし」とあり、開拓のモデルケースにも取り上げられました。

  成功のカギは、新天地への愛郷心とリーダーシップであり、何よりも風土を生かした畜産など地域の産業をきちんと育て上げたことが、地域の発展と自治の確立につながったのだと思われます。

 今、全国で繰り広げられている合併論議と対比してみると、財政的な効率性に偏り、本来、地域(住民)がよって立つべき雇用の確保や産業政策が脇に置かれがちなのは、残念なことです。  先日、高校生と一緒に討論した合併フォーラムでは、女生徒の一人がこんな発言をしました。

  「町で一番条件の良い職場は役場だけれど、合併で新規採用がなくなるかもしれない。大学で学んだものを地元で還元できる職場はあるんでしょうか」そして「若者がいない町に将来はない」とも。

4.情報共有を基点に知恵を結集

 私は、合併問題が地域を変える大きな転機だと思っています。合併によって地域が変わるという意味ではなく、合併問題に向き合こと自体が、「情報の共有」から「知の蓄積」「問題解決・課題克服法の発見」「合意の形成」「分担・協働による実践」に至る自律の機能の再点検・構築につながるからです。

【平谷村】

 逆の面から見ると、行政が必要な情報を分かりやすく提供し、住民との間で問題意識を共有できているか。議会を含めた議論がきちんと行われ、地域の知恵が結集されるか。責任と義務が公正に分担され、効果的に実践できるか。これらの過程の中で、行政、住民、議会の質そのものが問われているともいえます。

 ■身近な問題から住民参加の輪を広げる

 長野県平谷村では、合併に関する住民投票の有権者を「中学生以上」とする案をめぐって議論になりました。「すねっかじりに何が分かるか」「将来の地域の担い手の考えは尊重しよう」。結局、今年6月に予定される住民投票では、中学生も一票を投じることが決まりました。

 塚田明久村長は「平谷村のことが分からなければ、物事の判断はできない。まず何が問題なのか知ってほしい。中学生は想像以上の知識を持っている」と住民の知恵の広がりに期待を寄せています。

 実のところ、車社会で生活圏が広がったとはいえ、バスや列車が頼りの中高校生こそ合併のデメリットにさらされることになります。そして、先ほどの女生徒が指摘したように進学や就職で深刻な影響を受けかねないだけに、合併問題は切実なものがあるのです。

 問題は、行政や大人がきちんと問題を共有し合える状況を作り上げることで、情報の共有は中学生を含め住民参加の輪を広げるための第一歩といえます。

 人口600人余りの平谷村など18市町村が参加する南信州広域連合は、5村が人口千人未満で、総面積は新・静岡市を上回る約1900平方キロメートル。北海道の多くの市町村と同様に、この地理的条件を克服するには、現行の合併の枠組みでは難しいとされています。

 そこで、広域連合の研究会が提起したのが、「一市統合」と併せて、概ね現在の町村を単位とした「地域自治政府」を設置しようという構想です。欧米流の近隣政府の考え方を採り入れたものですが、住民自治の視点を明確にするとともに、住民の自治活動を基本に地域のさまざまなセクターや行政が補い合う「協働型まちづくり」の方向を示した点で注目されます。

 自治体運営の基本は、 (1)決定は身近で行い、執行は簡素で効率的に (2)行政をスリム化しながら、市民自治を主体とした持続可能な地域づくりにシフトする (3)まず住民一人ひとりが、次に家族などの協力で、さらには地域の協力でもできないことは行政が担うどうです。平谷村の向こう側に黒澤村が透けて見えてきませんか。

5.コミュニティの潜在力を引き出せ

【西米良村】

 人口約1600人、面積の約96%が山野に覆われた宮崎県西米良(にしめら)村。平家落ち武者の「隠れ里」は、宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」の舞台を思い起こさせます。

 ■「過疎力」の源泉は人的資源の掘り起こしから

 高齢者の割合が30%を超える過疎の村ですが、その高齢者たちが「生涯現役宣言」をしてまちづくりの核となり、村の活性化を推進しているのです。森の精にその名が由来する「カリコボーズの休暇村」では、花の出荷や柚子絞りなどの体験農業を通じて、都会の人々に田舎暮らしを手ほどきし、若者のUターン・Iターン定住という現象さえ呼び起こしました。

 過疎地ならではの魅力を生かした活性化のパワーは、「過疎力(かそりき)」と呼ばれ、宮崎県内で広がりを見せています。ここで注目すべきは、過疎力の源が地域の広範な人的資源であり、これを掘り起こすことで、地域の潜在力を引き出そうとしていることです。

☆ ☆ ☆

 こうして「5つの村」を並べてみると、合併など広域連携による行財政の効率化の一方で、生活空間が密接に重なり合う、比較的小規模なコミュニティの存在が重要になり、そこで住民や企業、NPO、行政などがどう役割分担し合うかが、まちづくりと地域活性化のカギを握ることが分かります。また、地域の潜在力を引き出す元となるのが、情報の共有と真剣な討論ではないでしょうか。

 野武士とどう戦うか。  黒澤村の強さ・したたかさの根源は、七人の侍ではなく、問題解決の道を探ろうとするコミュニティの「フォーラム機能」が健全に保たれていることにあるのだと思います。

 

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