続・市町村合併の論点9
協議会離脱の理由(1)

2003/05/26
(オンラインプレス「NEXT212」124号掲載)

 

<1>埼玉県比企郡〜20万都市に「飲み込まれる」

 埼玉県東松山市、東秩父村と比企郡6町村は今年3月、合併特例法期限切れまでの合併を目指して任意合併協議会を設置しました。しかし、わずか2か月後に滑川(なめがわ)、嵐山(らんざん)両町が、協議会から離脱、8市町村による20万人都市構想は、白紙に還りました。

 ■ひしめく町村、不安定な枠組み論

  比企郡は県中央の8町村からなり、1自治体の平均面積は約40平方キロメートル。周辺町村も同様の規模であるため、合併の組み合わせをめぐる論議は、複雑・多様な一面を見せてきました。そうした中で、中核的な存在の東松山市が合併に積極姿勢を見せ、周辺町村も全体として合併そのものには肯定的な対応を示しました。

 1月には職員による合併研究会が発足し、2月に地元青年会議所が主催した合併シンポジウムに関係市町村の首長がパネリストとして勢揃いし、任意協設置の機運が高まりました。しかし、同じ比企郡の鳩山、川島両町は参加を見送りました。

 任意協の初会合では、6月の法定協議会移行に向けて財政シュミレーションの検討などの作業日程を確認し合いました。しかし、合併の枠組みをめぐっては、隣接する江南、川島、鳩山町への参加呼び掛けを求める意見も出るなど、合併の具体的な論議を進めるには不安定な要因ものぞかせました。結局、5月21日の4回目の会合で、滑川、嵐山両町が、離脱方針を表明。残る6市町村は東西に分断される形になることから、任意協は解散が避けられませんでした。

 ■事実上の「吸収」を懸念

  滑川町が離脱を決意したのは、8市町村合併により新市の人口規模は一気に20万人になり、「住民の意思が反映されなくなる」との懸念からでした。議員の中からも、東隣の東松山市と組まなくとも嵐山、江南両町との合併で5万人規模の新市となる道を求める声が挙がるなど、大合併には否定的な考えが大勢と見られました。

 また、嵐山町では、4月に開催した住民説明会で実質的な「吸収合併」となる懸念や、判断材料が不十分なことに対する不安の声なども聞かれ、町長は「法定協設置に議会の同意は得られない」と判断しました。

<2>福島県田村郡〜「合従連衡」に迷い、思惑も

 福島県東部・田村郡では、郡山市寄りの三春町を除く、船引、常葉、大越、滝根、小野5町と都路村は2002年10月、任意合併協議会を設置しました。しかし、最南端に位置する小野町は2003年2月、協議会を離脱。現在は、残る5町村が田村地方任意合併協議会として、2005年3月までの合併を目指しています。

 ■「まとまり」をクラスター分析

  福島県内では、棚倉町など3町村によるものと、会津高田町など3町村による法定協議会が進行中で、任意協議会は5団体に上っています(5月8日現在)。広域連携の推進策として県は、「クラスター分析」と呼ばれる集団の分類法を使って、市町村合併にもつながる指針を示しました。クラスター分析では、ごみ処理や保健・消防・警察など行政的な結びつきに関する指標と、通勤・通学・通院・買い物など住民生活の一体化に関する指標を使いました。これらの指標に基づいて、市町村の広域的なまとまりを地図上に落としたわけです。

 ■90市町村を12にグループ化

 上の図が、田村地方周辺のクラスター分析地図で、青線で囲まれたエリアが単独町村がなくなる前の段階。赤線が単独町村がなくなる段階、緑線が単独町村がなくなった後の段階のグループを示しています。全県レベルでは、90市町村が40グループから23グループ、12グループ(単独市を含む)と段階ごとに集約されていきます。

 田村地方の場合は、単独町村がなくなる段階では、小野・滝根2町と、三春町も加えた田村郡の残り5町村でそれぞれグループを形成。さらに最終的な段階では、これら2グループに郡山市が加わった8市町村による広域圏をイメージしています。

 この方式は、地域のまとまりや連携による効率性・利便性を多角度から検証する手法で、合併論議のベースともなっています。しかし、現実には、田村地方においても2002年4月に7町村で協議のテーブルに着きながら、任意協発足の段階で三春町が不参加となり、発足後には小野町が離脱してしまいました。

<3>「端っこ」に埋没、大合併を敬遠

 福島県田村郡の7町村は、行政区域図上では相互に人が行き交う「まとまり」を見せていますが、市街地・集落は、阿武隈山系を横断するJR盤越東線に沿ってほぼ南北に連なっています。そうした地理的条件が、各町村の思惑とも関わりを見せているようです。

 ■小規模合併目指す小野町

  最南端にあって、郡山市から約40キロ離れた小野町の場合は、郡内6町村でも、三春を加えた7町村でも地域の中心軸が郡山側に片寄り、「周辺部として置き去りにされる」という懸念が住民の間にも根強い。住民アンケートでは、むしろ近隣町村との小規模な合併を求める意向がうかがえました。

 小野町の住民が大型合併を不安視し、「端っこ」に埋もれることを警戒するのは、1966年に14市町村が合併して誕生したいわき市の動向とも無縁でないとされます。約1230平方キロメートルという広大な都市となったいわき市の北端にある旧・川前村など隣接する地区の人口が急減、集落の衰退を目の当たりにしてきたからです。また、「自然との共生」を核に田園の魅力を生かしたまちづくりに一定の成果を上げていることも、小規模な合併を目指す背景となっているようです。

 ■三春町は改革徹底で「単独自立」へ

  一方、当初から任意合併協議会への不参加を決めた三春町の場合は、中核的な存在の郡山市に隣接し、人口規模も概ね2万人を維持するなど他の町村とはやや異なった条件下にあります。また、地方分権の推進と財政健全化を合併に頼るのではなく、徹底した行財政改革によって実現する、との方針を町長がいち早く打ち出したことが、大きな背景となっています。職員の削減など目に見える組織改革が進んでいることもあり、「単独自立」路線は、これまでのところ住民の支持を得ているようです。  三春、小野両町を除く5町は、任意合併協議会を継続、調査会社がまとめた財政シュミレーションの検討作業などに当たっています。

 
 

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