「賽の河原」と公共事業


 ▼ …奥尻島の北端・稲穂岬。「賽の河原」に立つと、93 年の南西沖地震の取材活動が思い起こされる。海岸沿いの電柱のケーブルには海草が絡み付き、木片や生活用品が散乱した浜辺とは対照的に、夕日が沈む海は妙に静まり返り、美しかった。そこは、現世と黄泉の国の境にある世界だった。

 ▼ …賽の河原は、三途の川のほとりにあって、死後の子どもが石を積み、塔を作ろうとすると、鬼が現れて壊す、という話の舞台だ。ギリシャ神話の「シジフォスの岩」は、神の怒りに触れた勇者が山上に何度も大石を押し上げる罰を受ける話で、どちらも救いのない、無駄な苦役という点で一致している。

 ▼ …昨今問題になっている公共事業は、賽の河原の石積みやシジフォスの岩に似てないだろうか?確かに「もの」を作ろうとすることで、建設業者らを通じてカネは地元に落ちるが、水は地中に染み込むだけで、草や木がなかなか生えてこない。そこでは、石積みを繰り返すことだけが、目的になってしまっている。

 ▼ …奥尻町の公共事業が、「復興」の原動力となったことは間違いない。しかし、町の財政規模が拡大する一方で、漁業など地域の生産力の地盤沈下が進んでいることが気になる。石積みの子どもたちは最後は地蔵菩薩に救われるのだが、復興の先頭に立った町長が町発注事業の入札に絡んで逮捕されるのでは、町民はとても救われない。

(26.Jan.2001 梶田博昭)