「賽の河原」と公共事業
▼ …賽の河原は、三途の川のほとりにあって、死後の子どもが石を積み、塔を作ろうとすると、鬼が現れて壊す、という話の舞台だ。ギリシャ神話の「シジフォスの岩」は、神の怒りに触れた勇者が山上に何度も大石を押し上げる罰を受ける話で、どちらも救いのない、無駄な苦役という点で一致している。 ▼ …昨今問題になっている公共事業は、賽の河原の石積みやシジフォスの岩に似てないだろうか?確かに「もの」を作ろうとすることで、建設業者らを通じてカネは地元に落ちるが、水は地中に染み込むだけで、草や木がなかなか生えてこない。そこでは、石積みを繰り返すことだけが、目的になってしまっている。 ▼ …奥尻町の公共事業が、「復興」の原動力となったことは間違いない。しかし、町の財政規模が拡大する一方で、漁業など地域の生産力の地盤沈下が進んでいることが気になる。石積みの子どもたちは最後は地蔵菩薩に救われるのだが、復興の先頭に立った町長が町発注事業の入札に絡んで逮捕されるのでは、町民はとても救われない。 (26.Jan.2001 梶田博昭) |
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