ユスティティアは「三つ目」の女神?

 ▼…「ちょっと変わった裁判官だそうだから」。銀行税訴訟で敗訴した東京都の石原慎太郎知事の弁。確かに変わった裁判官はいる。証人の面白ろ発言に思わず傍聴席が沸いたとき、「声を出して笑わないで下さい。顔が笑っているのは構いませんが」とたしなめた裁判官がいた。司法記者時代に出くわした場面である。

 ▼…しかし、これは「変な裁判官」とは異なる。人間である以上、感情が表情に表れることは抑えきれないが、審理の邪魔になる声は自制できる。笑ったり泣いたりすることのある裁判官だから、「法廷秩序の維持」などとは言わない。現に、裁判は、笑顔の傍聴人の協力で粛々と進行した。

 ▼…旧・札幌控訴院(札幌市資料館)には、目隠しをした女神の彫刻が掲げられている。先入観や偏見の排除を意味する目隠しだが、裁くのが神であれば、そんな物は必要だろうか。人が人を裁くからこそ、「公平・無心」の象徴が必要じゃないのか。調べてみたら、中世には「三つ目」の女神さえいて、「目隠し」は近世以降。

▼…「神の目」があるに越したことはないが、市民の目線と心情に近い視点も、裁く者には必要だろう。少女の非行を理由に援交教師に対する罰を50%OFFにした高速道置き去り事件の裁判官などには、「変」文字を冠さざるを得ない。銀行税の方も「変」とは言い切れないが…。

(1.Apr,2001 梶田博昭)