荒城の星

 ▼…磐梯山の麓から会津盆地に車で抜けようかという辺りで、突然の雷雨に見舞われた。400年前、伊達政宗が芦名一族と死闘を繰り広げた摺上原に、次々と稲妻が突き刺さる。まるで合戦の舞台にタイムスリップした心地だった。やがて何事もなかったかのように晴れ上がり、一面の黄金の波に虹がかかった。

 ▼…政宗が奪取した黒川城(鶴ヶ城)は、白虎隊の悲劇の舞台としても知られるが、今は貴重な観光資源となっている。もっとも、一時は維新政府によって廃城・売却の憂き目にあった。それを「市民の城」として再建したことが、現在の地域振興につながっているというわけだ。

 ▼…その意味では、私財を投げ打って城を守った遠藤敬止(元七十七銀行頭取)は会津の恩人。また、築城に際して優秀な技術者集団を招き、これを種に商工業を育てた戦国大名・蒲生氏郷は、城下繁栄の礎を築いたといえる。城は武士だけでなく、町衆にとっても地域のシンボルだから、廃城の達しに彼らも涙したのだろう。

 ▼…会津観光の下地には、そんな人の思いや歴史・文化の積み重ねがある。多くの町村が観光振興に地域の生き残りを託すが、見せかけの光ではなく、地域の潜在的な魅力を探り出し、どう磨きをかけるかが大事ではないか。月ならぬ大接近の火星を背に古城は今、何思う。

(22.Sep,2003 梶田博昭)