探光のマチ

 ▼…「炭坑から観光へ」。夕張市長時代の名言を残して中田鉄治さんが、亡くなられた。黒ダイヤ景気で沸いた60年代に12万人あった人口は、市長就任の89年には5万人に。その後も事故・閉山が相次ぎ、マチは超過疎の坂道を転げ落ちて行った。6期24年間は、土壇場で踏ん張り、地域再生をかけた闘いだった。

 ▼…メロンブランデーの開発や国際映画祭などアイデア市長で知られたが、火の車の台所を切り盛りした財政手腕にこそ中田流の妙がある。その極意は、まず財源に縛られないこと。「縮まったら何もできないまま潰れるだけ。夢でもホラでも目標があれば、何とかなるもの」という。

 ▼…もう一つの極意が「地域起こしは、人起こし・知恵起こし」。多くの人が共鳴・共有できる夢ならば、国だけでなく企業や住民だって投資する。肝心なのは、そんな夢を描き、実現しようとする知恵なのだという。10数年前、「シネマドリームランド」という壮大な構想を取材した際の言葉が今も残る。

 ▼…再開発に邪魔な炭坑施設の撤去費を捻出できず、「自衛隊の砲撃訓練で破壊してもらえないかな」と言い出したこともある。時に無謀に見えて、大胆で柔軟な発想を持っていた。「三割自治」の足かせがなかったなら、また違ったマチになっていたかも知れない。

 (29.Sep,2003 梶田博昭)