「たしなめ」と「たしなみ」

 ▼…かつての新聞記者仲間らとともに、ノンフィクション作家の西木正明さんと懇談する機会があった。平凡パンチの編集者時代の裏話から、最近の作品の苦心談など興味深かった。お話をうかがいながら、数年前に札幌で開いた市民講座のことを思い出した。「地域社会とメディアの役割」がテーマだった。

 ▼…パネリストとして参加してくれた西木さんは、地方メディアには「代弁機能」とともに「たしなめ機能」が求められている、と指摘した。特に地方紙は、単に住民の声を伝え、行政の告知板となるだけでなく、地域のさまざまな不都合に疑問を投げ掛ける機能を持つ必要があると強調した。

 ▼…さて、現実はどうだろうか。こちらは、合併論議白熱したある町の中堅職員の話。「新聞は意見の対立部分をいたずらに強調するばかりで、一緒に地域の将来を考えようという姿勢が感じられない」。前段は論点整理と取れるが、後段が彼の言葉通りとすると、新聞の「あおり機能」が顔をのぞかせたのかも知れない。

 ▼…西木さんは「日頃顔を合わせている相手をたしなめるのは勇気がいるが、その役回りがいるかいないかは、これからの地域の存在に関わる」ともいう。全く同感であり、付け加えれば、住民・行政を含めた地域自体が、確固とした「たしなみ」を持つことも求められているのでは。   

(30.Aug,2004 梶田博昭)