市町村合併を考える1-1

2000/10/20

 

財政難からスケールメリット重視

 地方分権の流れの中で、市町村合併が各自治体にとって大きな検討課題となってるものの、具体的な動きとなるとまだ全国的にもまだら模様なのが実態のようです。前号までの特集では、合併問題を真正面に据えて論議を重ねている地域の実情などをリポートしましたが、まったく「音無し」の地域も少なくありません。

 ことし4月からスタートした地方分権一括法を機に合併の動きが全国的に広がるかにも見えましたが、「昭和の大合併」と呼ばれた戦後間もなくの自治体再編ほどの劇的な動きにはなっていません。

 1953年の合併促進法施行時に全国で8,868あった市町村は、3年後には3,975まで減少しました。合併推進の最大の原動力は、新制中学の設立という大きな目標があったからです。

■具体目標あった昭和大合併

 9教科に専任教師を負担が片寄らないように配置することから逆算していくと、能率的に教育を進める最低限の人口規模が5,550人から7千人とはじき出されました。この試算に基づいて促進法には、「町村は概ね8千人以上の住民を標準に」という文言が盛り込まれたのですが、何よりも教育の充実に対する住民ニーズ・国民コンセンサスが、合併を強力に後押ししたわけです。

 さて、「平成の大合併」はどうでしょうか。

 合併推進の基本的な考え方として、国は▽地方分権の成果を十分に生かす▽少子高齢化社会における高度で多様なサービス水準の確保▽厳しい財政状況下での効率的・効果的な行政の推進〜を挙げています。

■財政の中央集権構造

 確かに本格的な高齢化社会の到来は、介護保険の充実に象徴されるように、小さな町だけでは対応が困難となってきています。介護保険をより効率的に進めるため全国的に広域連合が組織されたことは、市町村合併へ向けたステップともとれます。

 しかし、地方分権の推進という「足場」は少しもろいようにも見えます。確かに地方分権一括法は、地方債許可制度の廃止や地方交付税の算定に際して自治体の意見を反映させるなど、地方の自主自律へ向けた道を広げましたが、肝心の税源の地方移譲については見送られました。「ひも付き補助金」と呼ばれる国庫支出金も手付かずの状態であり、財政の面では中央集権のシステムに大きな変わりがありません。

 この結果、合併の目的が、「広域的な視点に立ったまちづくり」「住民サービスの向上」といった積極的な面からではなく、「スケールメリット追求による財政切り詰め」というマイナス面からの発想でとらえられる傾向にあるようです。

 戦後の合併のような住民共通の大目標はないけれども、それぞれのまちをどう形作っていくのか、何のために合併を目指すのか、冷静で真剣な論議が求められているはずです。また、分権の実を上げるための国の政策は、合併推進に不可欠の要素といえます。

市町村数の推移

1886年(明治19年) 71,573
1889年(明治22年) 15,820
1922年(大正11年) 12,224
1930年(昭和5年) 11,820
1953年(昭和28年) 9,868
1956年(昭和31年) 3,975
2000年(平成12年) 3,252

 

 

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