続・市町村合併を考える6-2「合併NO」を宣言〜矢祭町の場合(2) |
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2001/12/03 |
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歴史・文化背に「地域一体感」問う宣言の中で矢祭町は、広域合併がまちにメリットをもたらさない理由として、・辺境にあるため地域間格差をもろに受けて過疎化が急進行する・地域には独自の歴史・文化・伝統があり、「昭和の大合併」では住民の離反など苦い経験をした〜ことを挙げています。 地図を見るとわかるように、矢祭町を含めた白河地方は、古くから常陸(関東)と陸奥(東北)を結ぶ交通の要衝として知られてきました。芭蕉も「奥の細道」の入り口としてここを通っていますが、現代ではJR東北線と常磐線の狭間にあって、一帯は過疎が進行しています。 ■「辺境」の過疎進行に危機感県が示した広域連携案では、同じ東白河郡の棚倉(たなぐら)町、塙(はなわ)町、鮫川(さめがわ)村との一体化が提案されていますが、財政基盤のしっかりとした核的な存在が見当たらないこともあって、合併のスケールメリットはあまり期待されていません。むしろ広域合併が進み、白河、いわき、郡山市などが中核都市としての位置付けが強まるほど、東白川郡とりわけ南端の矢祭町の存在感が薄れていく可能性は否定できません。
矢祭町が合併反対の理由として挙げる地域の歴史・文化・伝統の独自性についても、スケールメリットなどの合理性だけで割り切れないものがあります。一帯は北海道などと異なり「むら=生活共同体」の歴史が古く、しかも複雑な変遷を経て現在があります。地域への帰属意識が高く、地元の歴史家は、戦国武将の国盗りや江戸時代の国替えなどが影響してきたことを挙げています。「昭和の大合併」による混乱は、歴史や文化を背景にそれぞれのコミュニティとしての独立性・自立性が少なくとも住民の意識の面で高かったためとも考えられます。 合併特例法の期限が迫り、「駆け込み」的な動きも含めて合併論議が高まる中、歴史的・文化的条件や住民の帰属意識・連帯意識についての検証が十分行われているのか、少し気になります。矢祭町議会の決議は、「合併狂騒曲」の観ものぞかせつつある最近の自治体の動きに対する警句として考えてみる必要もありそうです。 |
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