財政再建団体・今むかし
財政再建団体・今むかし
▼…夕張市の財政(赤字)再建団体転落が、さまざまな波紋を広げている。かつてこの欄で「名市長」と紹介した中田鉄治前市長(故人)に対しても、厳しい評価が見られる。確かに再建の象徴とされた「石炭の歴史村」が、財政悪化の元凶となった現実は重いが、問題は市の「観光振興事業」がいつの間にか「観光収益事業」そのものに変容していったことではないか。
▼…江戸中期から後期にかけての藩政改革を見ても、さまざまな産業振興策がとられながら、そこには失敗の山が築かれた。物流を活性化しようとした水戸藩の運河(勘十郎堀)建設などは大胆な政策だったが、幕府の藩札禁止令により資金を絶たれて挫折。沖縄・唐貿易に活路を求めた薩摩藩も、幕府から密貿易の疑惑をかけられた。中央による地方支配の構図は、今と変わりない。
▼…結局、後に雄藩と呼ばれた一部を除き、上杉鷹山の米沢藩に代表されるように、ひたすら緊縮と倹約の「リストラ行政」がある程度の成果を上げただけだった。しかも、せっかく財政赤字を解消しても藩主の代替わりで再び借金棒引きに頼ったり、農民の疲弊・逃散により問題がさらに深刻化した例も少なくない。財政改善は進んでも、行政改革や社会改革には至っていなかったのだ。
▼…数少ない行政改革の事例としては、秋田佐竹藩が挙げられる。通例の勘定、町奉行のほかに智恵を集めるための評定奉行と、財政計画を担当する財用奉行を加えた。さらに、産業振興のために木山方・開発方・鉱山方を新設し、6つの群方を任命することで広域的な農業政策を進める態勢も取った。教育振興とともに産業の基盤づくりが藩政改革の軸とされたわけで、現代にも学ぶべき点が多い。
(梶)
参考:名市長と勘十郎堀はコラム・バックナンバーを、
佐竹藩については2004年リポートを参照して下さい
column 2006/08/18