生命のピラミッドを壊すな

 —最近になって、大型土木工事で無理矢理に直線化した釧路川を、もう一度元の自然な蛇行する川に戻そうという事業が行われるそうですが、『自然な』とか『戻す』とういところに、私はひっかかりを感じるんですが。

 「魚を遡上させるために魚道を設けたりするようにはなったのですが、実際にはきちんと機能していない魚道も見受けられます。イトウの産卵する環境を守るということは森や湿原の環境を保全することであり、そのことは人間にとっても良いことなはずです。イトウを頂点とした生物のピラミッドを壊さないためにも、なんとか保全したいなと考えています」

 —川の流域に住む人々の暮らしや産業との関係では、イトウとの間で摩擦が生じているということはないのでしょうか。先生は、イトウを釣るには川を知ることが大雪と本に書かれていますが、川底まで観察する釣り師の目にはどう映っているのでしょうか。

 「まず、河川そのものをいじるとか、湿原を乾燥化させるようなことが環境悪化の第1の要因で、公共工事に依存しがちな地域では、本当に必要かなと思うような道路工事も見受けられます。何十年も前に計画された事業を、今は人も住んでないような所で行うケースさえあります。酪農のふん尿の垂れ流しも深刻です。川を渡っていると、バッグだとか服だとか、中には立派な印鑑ケースだとか、思いもかけないごみが捨てられている場面にも出くわすことがあります」

 —先生ご自身も含めて釣り人が、自然環境やイトウの棲息の圧力となっていることもあると思うのですが、いかがですか。

 「釣り人の影響は大きいと思います。最近では95%以上の人がキャッチ・アンド・リリースを心がけていると思いますが、中には『記念に』と持ち帰る人もいます。剥製や魚拓にするのが目的でしょうが、ひどいのでは『飼う』とか『売る』というのもあるようです。どのみち飼えるような魚ではないですから、死なせてしまう」

 —カブトムシがスーパーで売ってる時代とはいえ…。そもそも、『幻』と呼ばれる魚でありながら、保護の対象から外れているのも不思議な話。『幻』つまり『いない』から保護は必要ないということでしょうか。

 「1メートル級の剥製なら100万円という話も聞いたことがあります。産卵の時期に釣るのも、ひどい。キャッチ・アンド・リリースをしても、産卵に影響しますからね。イトウの保護という面では、金山湖で条例によって産卵期の釣りを規制している例があった程度だと思います。結局は、釣り人のマナーとかモラルに頼るほかないのが現状でしょう。私は、時期とかエリアとかの規制がもう必要だと思ってます。このままでは、本当の『幻』になってしまう」


  釣り師は「環境モニター」 

 —でも、仮に全面禁漁と決めても、監視の目が川の隅々に行き届くわけではないし、どこかに抜け穴もあるから、規制一辺倒でも有効とはいえませんよね。

 「ええ、私は、釣り人を閉め出すのではなくて、むしろ釣らせることが大事だと考えているんです。川のことを良く知っているのは釣り人ですし、川の変化については、それこそ川底にまで目を向けている。イトウが増えているのか減っているのかも、釣り人がいるから分かる。規制をすれば、すべてが世間の知らない世界で行われかねない」

 —『幻』どころか『闇』の世界の魚になりかねない危うさですね。川のことや森、湿原、湖、生き物のことが多くの人に正しく理解されているような状況を作り出すということですね。人間が「いじる」ことも含めて自然や環境に関する情報公開が、保全の一歩になる。釣り人は環境モニターの役割も担ってはじめて『釣り師』と呼ばれる。

 「そう意味でも私は、多くの人にイトウのことを良く知ってもらいたいと思ってるんです。例えば、産卵シーンを静かに観察できようになれば、誰もが生命の神秘、愛情の荘厳さに感動するはずです。そこから、自然や生き物に対する目が養われていくと思うからです。専門的な知識を持ったガイドの育成とかいろいろ課題はありますが、是非とも実現したいですね」

 —稚内に近い猿払村では、『イトウの里づくり』という構想があるそうですが。

 「地元の商工会青年部が中心となった取り組みで、私も関与しています。要はいつまでもイトウが釣れる環境を後世に受け継いでいこうという考えです。イトウを単に『残す』というだけではなくて、『釣れる』という点に意味があるのです。釣ってはいけない、近付いてもいけないでは、誰にも見向きもされなくなるからです。釣りを楽しむこともできる環境を整え、ルールを作ることで、地域の環境を保全しながら、イトウを環境教育や観光資源としても活用していこうという発想です。青年部には土木事業の方もいて、ジレンマを抱えながら試行錯誤している段階です」

 —自然も環境も大切だが、産業や暮らしのためには、自然や環境とまったく無縁ではいられない。永遠のテーマですけど。ときに、産業を重視する人たちと環境を大切にしたいと願う人たちが対立する場面がありますが、お互いの事情なり実態を教え合い、知ることで、新たな知恵が沸いてくるはずだと思うんです。

 「人と自然との関わりでいうと、例えば北海道では、ヒグマが無闇に人間が森に入ることに歯止めをかけている。人間にとってヒグマは恐ろしい存在なのですが、結果的には森の王者であるヒグマや川の王者であるイトウが北海道の自然や環境を守っているということになります。そういった自然や野生の姿を知ることが、人と自然、開発と環境の間の折り合いを見い出す前提になるのではないでしょうか」

 —ところで、先生は二度にわたって、南極観測隊に参加されてますが、極地の自然環境というのは、私たちの想像を絶します。


  極地と対照的な自然の営み実感

 「私は高い山以上に、地平線の無限の広がりというものに憧れて、志願しました。自然の猛威を肌で感じてみたくて、昭和基地からさらに極地に近い「みずほ」「あすか」の両基地で越冬しました。自然もそうなんですが、ああいった極限の世界での隊員同士の連帯感を存分に楽しみました。ほかの人が行けない所にいるというだけでも、幸せでした」

 —極地の自然と北海道の自然を対比して、どんなことを考えましたか。

 「南極は『水の大陸』実際には『氷の大陸』なわけですが、水の環境・川の環境ということでは、北海道の水や川がずっと楽しいですよ。若さもあって、あえて過酷な環境を楽しんできたのですが、沿岸部を除けば生物は皆無、細菌さえいない世界。そんな所に住んでみたから、この北海道の多様な生物と豊かな自然が、ものすごくいいものだと実感できるのです」

 —そうですねえ。自分たちのすぐ手の届くところにあると、それが持っている価値には気付かないものですが、実はかけがいのないものであったりする。イトウがそのシンボルなのかも知れませんね。興味深い話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。
(聞き手・梶田 博昭/AQUA)

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幻の巨大魚を追う Interview 2/2
 ■イトウ 
  サケ科イトウ属の一種で、ユーラシア大陸には近い種が広く分布する。成熟年齢は7〜8年を超えるがのが一般的で、体長は1メートル以上になる。春に砂地の川底に産卵する。オスは赤く婚姻色に染まる。
  (写真左は高木さんの著書、右は釧路湿原)