来るか 地域主権時代〜コミュニティの再構築と連携と

地域メディア研究所代表 梶田博昭

2002/04/15
(オンラインプレス「NEXT212」76号掲載)
(2002年4月18日付け札幌タイムス紙「北の大地を考えよう」シリーズ掲載記事)

 

 先日、広域合併したばかりの明日葉(あしたば)市を訪ねました。驚いたことに、役所のキャッチフレーズは「なんにもしない行政」。「すぐやる課」というのは聞いたことがあるけれども、ここの窓口は「まず聞く課」「知恵貸す課」と「口利き課」が仕切っているのだそうです。

 ■未来都市・明日葉の挑戦

菜の花と桜が咲き誇る佐奈川河畔
(愛知県豊川市)

 「口利き」とは穏やかじゃないネーミングですが、要は住民ニーズや困りごとに応えてくれる企業なり、NPO、専門家を紹介してくれるとか。市長はこう解説してくれました。

  「ここでは、市民・市民企業がやれることは、それぞれがやる。私たちは、それらの活動がより効果的・効率的に進むようにサポートするだけ。合併で町は市になったけど、町内会単位のコミュニティ議会が、重要な地域の舵取り役になってます」

 

* * * * * * *

 さて、もうお気づきのとおり、明日葉市は架空の都市にほかなりません。しかし、それは絵空事の世界ではなく、やがて訪れる時代の情景を暗示しています。現に、地域計画の策定を住民の手に委ねたり、行政・行政マンのシンクタンク機能やコーディネーター、コミュニケーター能力を高める取り組みが、いくつかの自治体で試みられています。

  「なんでもやる行政」が、結果的に地域(住民)の自律神経を鈍らせていたことを考えると、明日葉は地方分権(正しくは地域主権)時代の一つの方向を示してはいないでしょうか。

 ■市民事業がまちづくりを変える

  今度は実在するまちのお話です。

  愛知県豊川市。豊川稲荷で知られるまちの中央を、佐奈川という札幌の創成川ほどの小さな川が流れています。この時期は、河畔に桜と菜の花が咲き誇り、見事な景観を見せています。  少し前までは、草がぼうぼうと生い茂り、「よい子は川に近づかない」の看板が掲げられていたそうです。それが住民の手によって今や憩いの空間であるだけでなく、教育現場にもなっています。

  元々は、川の生物とともに絶滅の危機にあった「川ガキ(子どもたち)」復活を目指す青年会議所の取り組みとしてスタートしたのですが、川と地域文化再生の市民事業に成長。事業主体はNPO法人・佐奈川の会で、県から河川管理の事業委託を受け、コミュニティ・ビジネスの可能性も広げています。

 先日、会長のお話を聞き、印象に残ったことが二つありました。

  一つは、NPOが広汎な住民ニーズに対応した市民事業の担い手として期待される一方で、行政の縦割り構造がときに足かせになることです。例えば、NPO的発想に立てば、河川管理は学校五日制に応じた教育事業や造園と結び付いたリサイクル事業などへと発展していくのですが、その思考・事業の連鎖を縦割り行政が断ち切るわけです。

 ■目標達成型のネットワークの発想

豊川市民の合言葉は「右手に備中、
左手に缶ビール」  

  地方分権時代の地域のあり方として「市民活動主体のまちづづくり」といったことが叫ばれますが、実は、市民の主体性を阻害するDNAが、現在の行政内部に組み込まれていることを知っておくべきだと思います。NPO(ときには企業も含めて)を行政の「下請機関」にとどめず、地域のさまざまな事業の担い手として位置付けるならば、行政による明日葉的な大胆な発想の転換が必要ではないでしょうか。

  佐奈川の会の会長のお話でもう一つ印象に残ったのは、行政区域つまりまちの境界線が障害になるという指摘です。

 確かに、河川環境の保全ということを考えてみても、下流がどんないいことをしても、上流が無頓着であれば実が上がりません。その逆も然り。ここでは、上流、中流、そして下流域の住民同士の「流域連携」という発想が必要になるわけです。

  現に、大分、福岡など5県にまたがる筑後川流域などでは、県や市町村よりもNPOや住民グループが率先して連携を取り合い、水資源や環境の保全に取り組んでいます。共通目標を達成するために最も効果的なネットワークが張られていると言い換えてもいいでしょう。

上 静岡県三島市の住民がグラウンドワークの手法で整備した源兵衛川河畔

 公共土木事業として札幌市が整備した安春川河畔

 ■目指せ!町内会ルネッサンス

  地方分権時代の地方の受け皿づくりとして市町村合併が大きな焦点となっています。自治体の連携・大型化による行財政の効率化は確かにある程度期待できるかも知れませんが、目標達成型のいわば「流域連携」的な視点が欠けているようにも思えます。

  例えば、人口4千人のスキー場と温泉の郷・川場村(群馬県)は、はるか100キロメートル以上離れた東京都世田谷区との合併を模索しています。都市と田舎の住民が、互いに求め・補い合えるものがあると考えるならば、距離や境界線はあまり重要なことではないとも言えます。

 道の市町村合併要綱では、「人口の一極集中を助長する」との理由から、札幌市を枠外に置いています。裏を返すと、合併が過疎地域の切り捨てを実質的に意味していることが読み取れます。

  しかし、地方分権が地域主権の確立を意味し、NPOや企業を含めた住民の主体的なまちづくりを目指すのならば、行財政の効率化を狙った行政機構の統合の一方で、より弾力的で自由な「流域連携」=ネットワークづくりが進められてもいいのではないでしょうか。この場合、ドイツのゲマインデやフランスのコミューンのような人口数千人規模の生活共同体(コミュニティ)が地域の統一された意思や力を発揮する基本単位になると期待されます。

  私たちの住んでいる札幌市について言えば、町内会ほどのコミュニティの存在意義が大きくなっていくのだと思います。問題は、すっかり薄れた隣人関係を修復し、地域の帰属意識を回復することが果たしてできるか―。

* * * * * * *

 「右手にスコップ、左手に缶ビール」を合言葉に川と地域文化、人々の絆を甦らせた豊川市民の取り組みや、架空都市・明日葉市の大胆な行政は、その可能性を探る一つのモデルと考えてみてはどうでしょうか。

 

 

| TOP |