自治体再編と行政サービス
コミュニティ再生が「公共」を変える

地域メディア研究所代表・梶田博昭

(本稿は北海道町村会発行の政策情報誌 
「フロンティア180」第49号-2004年4月-に掲載されたものを再編集しました)

 

1.コミュニティ劣化、行政は肥大

 黒澤村を知っていますか。映画「七人の侍」(1954年・東宝)の舞台となった集落といえば、思い当たるでしょう。農民が侍を雇って野武士の襲撃をはね返した、あの黒澤村です。数百年を経た今、村は一見平和そうに見えながら、住民は新たな不安に直面しています。市町村合併で住民の暮らしはどう変わるのか。過疎に歯止めを掛けられるのか―。

 ■官に依存、薄れる「むら意識」

 無論、黒澤村は架空の存在ですが、「シネマを題材にコミュニティを考えよう」と市町村職員や学生を交えて「黒澤村学会」と称する勉強会を開いたところ、面白いことが分かってきたのです。たとえば、「野武士」を「過疎」や「ごみ問題」「財政危機」、あるいは「合併問題」と置き換えてみてください。

 村人の間にはエゴや対立もあれば、議論の場(フォーラム)もある。なにより、地域共通の問題に知恵と力を合わせて対処しようという機能がある。七人の「シティマネジャー」がいて、住民参加による協働事業が展開される。そこには、コミュニティの原風景と住民自治の原点が浮かび上がってくるのです。

 さて、黒澤村を現代にシュミレーションしてみると、あの大胆な発想やしたたかさは、住民に受け継がれているでしょうか。コミュニティとしての自律性や問題解決能力は生きているでしょうか。「七人の侍」の役割は「役所」に置き換えられ、かつては「個」の問題であった育児や介護をも「官」の領域に組み入れられたが、無限とも思える住民ニーズに行政は今後も対応していけるのでしょうか。

 地域住民にとって共通する問題の解決や課題の克服は、その多くを官に依存し、行政が肥大化する一方で、住民自身の手による問題解決能力が薄れてきたのが、戦後の大きな流れのように思われます。宮脇淳教授(北大大学院)の指摘する「公共サービスの行政サービス化」(公共経営論)は、コミュニティの質的劣化と裏表の関係で進行してきたといえるでしょう。

2.地域の再生力が「公共」を変える

 コミュニティの劣化と行政サービスの拡大を象徴的に示す例として、「地域の安全・防犯」の問題が挙げられます。近時、多発する犯罪に対して取られてきた措置は、警察力の強化や防犯灯の整備にとどまらず、防犯カメラの設置から女性・子供に対する防犯グッズの提供にまで及んでいます。

 ■地域の協働連携は「絆」修復から

 確かに地域の安全は、公共性の高い分野ではありますが、すべてを行政が担うべきかというと、大きな疑問が残ります。むしろ、日常的な安心・安全を担保するという意味では、住民自身が防犯・防災の基盤を担うことが、重要なように思えます。

 現実に、防犯カメラが安全確保の決定打とはならないことに気付いた住民の間では、近所同士や道行く人への声掛け・挨拶運動をはじめとした自主的な活動が見られるようになってきました。特に、都市部では、町内会や学校区などを単位に住民同士の絆をもう一度修復しようという試みが始まっています。

 これらのことを、公共サービスの変遷という面から見ると、黒澤村に見られるような住民同士の絆を背景にした「相互扶助型」は、絆社会の崩壊に伴って「行政依存型」に大きく形を変え、今度は新たな絆社会の形成を基にした「協働連携型」の地域運営・公共経営を目指そうとしているといえます。問題は、公共サービスを誰がどう担うのか、行政とパートナーシップを結ぶコミュニティをどう再生させるのか。

 公共サービスの見直し・再編に当たっては、公共サービスを行政サービスとして抱え込んだ行政の財政危機を背景に、コストダウン思考や民間への下請け的発想に偏りがちですが、新たな地域文化や産業の創造につながるような地域力を生かした「市民事業」に発展させる考え方が必要だと思います。

 ■ソーシャルキャピタルを高める

 自治体再編は、大きな流れとして、地方分権・団体自治の拡充に伴って、合併や広域連携的な行政組織の統合がさらに進むと考えられます。もう一つの流れである住民自治の充実については、残念ながらこれまで立ち遅れてきました。

 しかし、行政、住民、企業、NPOなど多様な地域セクターによる協働連携が、これからの公共サービスの重要なキーワードとなることを考えれば、行政組織の統合が進めば進むほどコミュニティ単位の住民自治が必要となるでしょう。したがって、条件整備の第一は、新たな絆社会の構築を目指したコミュニティの再生にあると考えるわけです。

 コミュニティ再生は、同じ地域にあっても個人と個人との関係が希薄であったり、バラバラに分断されている現実を前にすると、困難なテーマにも見えますが、この課題を考える上で「ソーシャルキャピタル」という視点を提起したい。

3.フォーラムが市民事業を育てる

 ソーシャルキャピタル(Social Capital)は、「人々の協調行動を啓発することによって社会の効率性を高めることのできる社会組織の特徴」と定義されます。その主な要素は「人々の間の信頼関係」「人々の間で共有されている規範」「人々の間を結ぶネットワーク」であり、いわば人的資源や物的資源に並ぶ、コミュニティの「第三の資本」を指します。

 ■地域の潜在力を掘り起こす

 例えば、地域通貨を使ってボランティア活動を活性化させたり、そのネットワークを広げることによって、住民同士の信頼感や社会参加といったソーシャルキャピタルを高めることができます。そうしたコミュニティでは、行政サービスに多くを頼らなくとも「地域の安全・防犯」を確保することが可能となります。

 ソーシャルキャピタルは、一般に都市に比べて地方ほど高く、表面的には乏しいと思われても潜在値が決して低くないケースもあり、むしろ、こうした地域の潜在力を掘り起こすことが大きな課題になると考えられます。英国・ブレア政権では、公共サービスの提供者として企業や市民の参加を促す政策のバックボーンともなった考え方で、これからのコミュニティ再生や公共サービスの在り方を考える上で、参考になるでしょう。

 ■議論を通して価値観を共有

 信頼の絆で結ばれ、社会参加が活発なコミュニティにおいては、住民自身が問題の根を掘り起こし、課題の解決策を探り、具体的な行動を取ることが期待されます。「黒澤村」と大きく異なるのは、コミュニティを構成するのが個人や血縁関係にとどまらず、さまざまなセクターから成り立っている点で、これらの連携とリスク分担が問題解決のカギを握ると考えられます。

 特に近年は、公共サービスの新たな担い手としてNPOや自治会などに対する期待が高まっていますが、行政はもちろん企業や住民個々人も含めて、それぞれの特質や専門性を上手にネットワークさせることが重要でしょう。単に行政サービス化した公共サービスを行政からアウトソーシングしたり下請けに降ろすのではなく、その地域にとって最適な提供の仕組みをネットワークの中で考えていくことが求められます。

 そうした意味では、協働のしくみづくりやコミュニティの再生と並んで、地域の課題や目標を共有するための議論の場を育てていくことが、ベーシックな課題になると思います。スクリーンでは、村人の激論の末に侍の勘兵衛が「他人を守ってこそ自分を守れる。己のことばかりを考える奴は、己を滅ぼす奴だ」と一喝する。フォーラムを持ち、価値観を共有することが、公共空間としてのコミュニティと住民の明日につながることを「黒澤村」が示唆しているように私には感じられます。

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 本稿は、北海道町村会発行の政策情報紙「フロンティア180」第49号掲載記事です。「自治体再編後における行政サービスのあり方」をテーマにした特集は、ほかに宮脇淳・北海道大学大学院教授と京極、東神楽両町長らによる座談会、上士幌町のアダプトプログラムの実践事例リポートなどで構成されています。ご一読を。

 

 

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