2004年 地域をどう変えるか

2004/01/13
(NEXT212第146〜147号掲載)

 

 1.地方の自立と住民自治 

(1)問題解決の糸口は足元にある

  鈴木清順監督の初期の作品に「けんかえれじい」(1966年、日活)という映画があります。高橋英樹率いる旧制喜多方中学のけんか好きたちが、会津中学の昭和白虎隊と血闘を繰り広げる青春活劇です。娯楽性にあふれたストーリーなのですが、城下町・会津若松と文字通り北の外れの田舎町・喜多方の風土・住民性の違いがそのベースとなっています。
 白鉢巻姿の相手方を目にした場面で、喜多中生はこんな会話を交わします。

 「白鉢巻っつのは、なかなか見栄えいいもんだ」
 「ばかこけ、頬っかむりが一番保身になるっつうでねえか。鉢巻みてえもん見てくれだけだべ」

 作者は、白鉢巻と頬っかむりによって二つの街をシンボライズすると同時に、会津に対する撞着と反発を感じながら、土臭くとも実利を選ぶことで骨っぽさを示そうとした喜多方の地域性を浮き彫りにしています。

 ■風土・住民の潜在力を生かす

  実際、会津・喜多方を訪ねてみると、藩政時代に喜多方は独自の文化・産業を発展させ大阪に対する堺にも似た一面を持っていたことがうかがえます。会津藩が移入した漆器や桐細工、染め織物などの技術は、城下よりもむしろ喜多方において巧みに応用され、商品化されたからです。今もラーメンと並んで「蔵のまち」として知られるのは、そうした産業・文化の発展の成果が蔵に集約されているからなのでしょう。

 江戸から明治へと続いた喜多方の繁栄の要因を考えてみると、盆地の「北の外れ」だからこそ持ち得た豊かな自然環境を農業生産に生かしたこと。武士が直接支配する城下に比べて自由な気風があり、利益追求にも寛容な考え方や創意工夫の住民気質が第2次産業を育てた。つまりは、土臭さを生かしながら実利を優先した「頬っかむり流」に起因するのではないかというのが私の仮説です。

 近年の喜多方はというと、残念ながらかつての活力を失っているように感じられます。大量生産体制が伝統工芸を飲み込んでいったのがその象徴でしょうが、伝統工芸を生み出す原動力となった実利主義や創意工夫の住民性、さらにいえば「ものづくり」のベースとなってきた自然風土までが変質してしまったとは思えません。

 ■ルネッサンスは内から沸き起こる

  現に、喜多方では、もう一度地域に目を向け直すところから新たな産業や文化を構築していこうという動きも出てきています。中心街にアーケードという「白鉢巻」をすることで蔵の街並みを台無しにした反省に立って、住民自身が街並み保全に知恵を結集しようとする動き。博物館に埋もれがちな「染め型紙」のデザインや技術を復元するだけでなく、21世紀の「喜多方モード」として全国、世界に発信していこうとする取り組み。有機生産の地場米を活用したり最先端技術を応用した酒造り、ものづくりの原点に立ち返っての漆器産業の再生といった試みが、若い世代を中心に進められています。

 地方分権・地方の自立は、中央と地方の対立という構図で語られがちですが、地域の活力なしに自立もあり得ません。失ったのではなく、見失いかけた地域の資源を掘り起こし、それを生かす知恵と工夫を凝らすことができるか。問題解決の糸口は、案外と私たちの足元にあるように思われます。

(2)「分権」から「地域主権の回復」へ

 藩政改革の手法は、大きく分けると、米沢藩主・上杉鷹山に代表される「倹約・引き締め型」と、水戸〜江戸間の運河建設を進めた松波勘十郎のような「公共事業型」、それに西南諸侯が力を注いだ「殖産興業型」に3分類できそうです。現代に比べて大きな自治権が認められた各藩は、その具体策に知恵を凝らし、百花繚乱の観さえ見せました。ただし、その成否は、改革の推進体制によって大きく異なったようです。

 ■リーダーと人材が支える改革

  寛政から文化にかけて6次にわたった秋田藩主・佐竹義和の改革は、行財政改革を殖産興業政策と連動させた点で注目されます。当時、中央(幕府)では松平定信が逼迫した財政の立て直しに躍起となり、地方では飢饉による人口減少に加えて、低い生産力と高い年貢・小作料のために農民のいない農地ばかりが増えるという状況。どこか現在の地方と似ているではありませんか。

 義和はまず、勘定、町奉行に加えて評定、財用奉行と総括役の総奉行を新設しました。今の役所にたとえると、収入役と警察署だけから総合管理、企画財政の部門を設けるとともに、合議によって知恵を絞る体制を取ったわけです。

 政治体制を整備すると今度は、「木山方・開発方・鉱山方」と呼ばれる産業振興部門を新設し、しかも、その人選に当たっては、下級武士からも有能な人材を登用しました。また、6つに分けた郡部の行政組織を強化するとともに、農業政策を広域的に進めたのです。労働力確保・離農防止対策として副業開発にも力を注ぐ一方、足軽・百姓・町人にも教育の場を広げて教育と人材育成に当たりました。

 成功したかに見えた改革は、義和が41歳で病死し、改革派メンバーの離脱によって挫折しましたが、改革の成否はリーダーら人材によるところが大きいことを物語っています。

 ■地方から中央を変えるパワーの結集

  さて、こうした藩政改革と現在の地方行財政改革を対比してみると、借金棒引き・問題先送り型の消極策が根本解決につながらないことが明らかになる一方で、幕藩時代に比べても市町村の自治権が小さいことに気付きます。藩札の発行や藩専売制など結果的に幕府の規制を受けたり、改革のリスクを背負い込むといった面を割り引いても、地方の自主性が低すぎるように思われます。

 地方分権が叫ばれ、国と地方を通じた税財政の三位一体改革が論じられながら、税源移譲一つとっても改革は入り口に立ったばかり。むしろ一連の中央の動きを見ると、過疎に悩む地方の自立よりも、都市部の負担軽減に視点を置いた議論が目に付きます。補助金削減問題では、カネの配分を通じて地方をコントロールしようとする省庁の姿勢がなかなか変わりそうもないことを見せつけられました。

 国対地方、都市対過疎地という議論のフレームが鮮明になるほど、気になるのは、論議の舞台が中央にあって、その舞台上では地方・過疎地の声が必ずしも十分に反映されるしくみになっていない点です。地方に分け与える「分権」の呪縛を解き放ち、「地域の主権回復」の視点に立って地方から中央・国を変えていく力がこれまで以上に必要なように思います。

(3)住民自治は地域の視点に立って

 岐阜県東部にある人口約5700人の山岡町では昨年9月、約1500の全世帯参加によるNPO「まちづくり山岡」が設立されました。町内8地域の住民組織をベースに法人化することにより、それまで行政が担ってきたイベントや保健・福祉・環境保全などのさまざまな公共サービスを住民自身が支えていくことを狙いとしています。

 ■合併論議機に脱・官治型まちづくり

  設立のきっかけとなったのは、今年10月に予定される恵那市など近隣6市町村との合併でした。合併により地域が埋没するのでは、という危機意識が一つの要因ながら、地域住民が結束することで自分たちの声を反映させていくことが可能であり、行政に頼らなくとも住民が担える分野があることに気付いたからです。

 合併をめぐる議論は、役所の足し算と目先の損得に終始しがちな一方で、住民自治に目を向けさせるきっかけともなっていたわけです。
 地方制度調査会の最終報告でも、基礎的自治体の権限と財政基盤の拡充を柱とした団体自治の確立と合わせて、地域における住民サービスは多様なセクターが連携・協働する住民自治の充実が今後の重要な課題と位置付られています。

 これまでの住民自治は、行政に住民が参加しても行政主体・主導による「官治型まちづくり」の枠組みの中にとどまりがちであっただけに、地方自治は新たなステップを踏み出そうとしているともいえそうです。

 ■依存体質から抜け出すために

  もっとも、中央による地方、官による民という二重の支配構造は根が深く、地方や民の側にも中央依存・官依存体質が根強く残っていることを考えると、ことはそう簡単に運びそうにもありません。なにせ、本来の意味の住民自治は自由都市・堺などごくごく限られた例があるだけで、憲法でさえ市町村を地方公共団体(local public entity)と規定し、地方自治体(local government)とは呼んでいないのですから。

 ただ、山岡町のように、まちづくりの主人公がだれであるのか住民が目を向けつつあることも事実であり、地域を変えるも変えないも住民の意識によるところが大きいといえるでしょう。それだけに、合併問題を単純な役所の損得論で済ませるのではなく、住民を議論に巻き込みながら、まちづくりの在り方や将来設計にまで踏み込んでいくことが重要ではないでしょうか。

 大事なことは、国による統治・管理の視点ではなく、地域の共同体として生活条件をどう整備していくのか、そのために住民やNPO、地域企業、市町村はそれぞれ何ができるのか、近隣の自治体や都道府県とどう連携すれば良いのか。そうした地域からの発想と視点が求められています。

 2. 合併論議と住民参加 

(1)まちづくりの将来に焦点を絞れ

 2005年3月末を期限とした現在の合併特例法がスタートした99年以降、これまでに31件87市町村が合併し、今後さらに29件141市町村の合併が予定されています(1月15日現在・一覧表も)。このほか、法定協議会を設置して合併の是非を含めて検討中の自治体は約1700市町村に上っています。仮に単純計算で、これらが全て期限までに合併の合意に達するとすれば、現在約3200ある市町村は2千以下に再編されることとなります。

 ■地域内分権・協働型社会も模索

  最近の合併論議の推移を見ますと、財政逼迫の流れに追い立てられるようにして特例メリットを追求する「滑り込み型」の一方で、合併の枠組みの中にあっても旧市町村を基盤とした地域の自律を模索する「地域内分権型」や、合併だけに頼らずに徹底した行財政改革と住民参加の推進で自治のかたちそのものを変容させていこうとする「協働社会指向型」の動きも見られます。国から地方への権限・税財源の移譲など分権のしくみが今だ不透明な中で、地域自身が新たな方向を求めて手探りをし始めたともいえそうです。

 そうした意味では、地方の自主性・住民の主体性を生かしながら、多様で弾力性のある地方自治のしくみを確立するための国レベルでの論議と制度設計が大前提となるでしょう。特に、三位一体論に集約される国と地方の関係の見直しの具体化を急ぐことが望まれます。

 ■合併是非論から抜け出せるか

  2005年3月を一つの節目とする合併論議を進めるに当たっては、市町村が取るべき課題として次の5つのポイントを提示してきました。

 <1> まちの将来像について首長が明確な理念を持っているか
 <2> 合併を含めたまちづくりの在り方を考えるための情報を住民と行政が共有しているか
 <3> 的確な情報に基づいて住民が議論に参加しているか
 <4> 職員が既成の枠組みにとらわれず、考え、行動できるか
 <5> 議員・議会が本来の機能を発揮しているか

 これらの視点から具体的な合併論議を見ていく中で気が付くことは、第1に、合併すること自体が目的化する余り、まちの将来に当てるべきピントがぼやけがちなことです。その結果、役所や議会の体制、事務執行の手続きなどに議論が偏り、合併のメリットをどう生かしたまちづくりを進めるかといった議論が薄くなる例です。タイムリミットが迫るほど、その傾向が強まりそうなだけに気懸かりな現象です。

 第2の問題は、合併論議への住民参加の「近道」として住民投票が利用されがちなことです。これは、タイムリミットが迫っていながら議論が行政の技術論に終始し住民には分かりにくい、あるいは身近でないという第1の問題とも関連しており、その根っこには首長の考えが不鮮明なことと情報共有の欠陥が挙げられます。

 合併をめぐる議論は、行政と住民の情報共有を基盤にした住民参加型のまちづくりを実現するためのチャンスでもあっただけに、これを生かし切れないのは残念なことです。

(2)明確な理念を起点に論議を深める

 近接する市町村の間の広域連携や合併は、本来はまちづくりを進める手法としてどう生かすか、という視点から考えるべきものでした。それが生き残りのための目的として捉えられがちなのは、行政サービスの多様化・高度化の一方で借金体質と財源難の深刻化を背景に、「やむを得ない選択肢」として映ったからでしょう。

 ■問われる首長のリーダーシップ

  このため、合併をめぐる議論の現場では、「合併したらどうなる」という受け身の考えが主体になりがちで、「合併を機にこうする」といった積極策はやや影が薄い。特に危機感の高い周辺部の小規模自治体にあっても「合併後もどうやってこの地域を存続させるか」が焦点となるなど、最初から「縮こまり論」が支配的になりがちです。

 最も大きな問題だと思うのは、まちづくりのリーダーであるはずの首長自身が選択肢を狭め、縮こまり、まちの将来のあるべき姿を積極的に語れないでいることです。将来構想を描けないから、現状批判につながりかねない情報公開を躊躇し、合併の是非にも明確な政治姿勢を示せない。まちづくりの議論に発展しないまま、流れに押し流されることに危機感を抱いた住民が、住民投票による白黒の決着を求める。あるいは、十分な情報提供も議論もないまま首長が住民投票の結果に判断を委ねる、というケースです。

 ■目標設定し、手段は複合的に

 このような状況の背景には、もちろん、税財源・権限移譲など国の方向性が不透明なため首長自身が先を見通せないということもあるでしょう。しかし、そのことを考慮しても、行政の長であると同時に地域住民のリーダーでもある者として、自分たちのまちをどうしたいのか、どうありたいのか。政治家としての夢や理念も含めて、まちづくりの将来像を住民に示すことが義務ともいえます。

 議会、住民を巻き込んだ議論の起点は首長の明確な意志と理念にあると考えれば、合併問題はまちづくりを進めるための手段として有効かどうか、つまり「是非」ではなく「適否」の問題として評価し判断することができると分かります。また、手段以上に目的が重要との考えに立てば、「合併したらどうなる・どうする」という議論の前に、「どんなまちを目指すか」を絞り込んだ上で、合併や広域連携、住民との協働事業、産業振興、あるいは国や都道府県に向けた制度改革の働きかけといった手法・手段を複合的に組み立てていくことも重要になってくるでしょう。

 いずれにしても明らかなことは、首をすくめ、流れに身を任せているだけでは、地域を取り巻く問題は何一つ解決しないということです。打開に向けた第一歩は、やはり地域リーダーの明確な理念に裏付けられた言葉と行動から始まるのではないでしょうか。

 3. コミュニティの再生 

参加から協働・市民事業へ

 市町村合併をめぐる議論は、自治体間の広域的な連携による住民サービスの効率化とコストダウンに目を向けさせる一方で、日常的に生活エリアが重なり合う地域住民相互の連携の重要性をクローズアップさせました。また、犯罪の多発を背景に、地域の安全と安心を住民自らが支えるという視点からも、町内会や自治会、学校区などを単位としたコミュニティの再生が、大きな地域課題として浮上してきています。

 ■住民自治を担うコミュニティづくり

  「コミュニティ」は非常に幅広追い意味で使われていますが、まちづくりを考える上では、次の3つの要素に集約できるでしょう。

 <1> 一定の生活エリアを共有する個人・家庭が構成主体となって
 <2> それぞれ市民として自主性と責任を持って
 <3> 地域の共通課題の克服や問題解決のために連携する集団

 これまでは、都市化の中で急速に薄れていった地域住民の間のネットワークの再構築に重点が置かれたり、福祉や防災などのテーマに沿ったコミュニティ活動が中心となってきました。近年は、こうした目的・性格に加えて、住民自治の観点からより自主的・積極的に地域の課題に取り組むとともに、従来は行政に依存しがちだった公益的な活動や公共サービスを自ら担おうとする動きも出てきました。

 特に合併論議の中では、地域住民の意見をとりまとめる単位として「地域自治組織」の整備が焦点の一つともなっています。しかし、本来は、合併するかどうかや自治体の規模の大小に関わらず、住民自治の実を上げるための単位としてコミュニティの再生・成熟を考えていくべきものでしょう。

 ■情報共有起点に「地域力」引き出す

  こうした「自治的コミュニティ」は、それぞれの地域の特性やまちづくりの目標に応じてさまざまな形態・機能・活動が考えられることから、全国一律的な制度の枠にはめることよりも、より自由で自主的な活動を支えるしくみづくりの方が重要でしょう。地方制度調査会の答申では、地域自治組織について、地域内分権の受け皿的な機能と協働のためのパートナー的な機能を挙げていますが、住民自治の理念に従えば「行政と住民の連携により地域の潜在力を発揮する」ための協働機能こそが、求められています。

 まちづくりへの住民の参加から協働へ、さらに地域企業やNPOなどを含めた住民自身が公共部門を担う態勢を強化するためには、第1に住民が地域の足元に目を向け連携し合うための組織づくりが必要です。第2に行政がこうした住民の取り組みをサポートするための仕組みの整備や行政職員が地域住民とより密接に連携する態勢が求められます。住民と行政のそれぞれの取り組みと相互連携を強める上では、地域情報を共有し合うための基盤・しくみを整備することが第3の課題となるでしょう。

 「地域力」を生かした市民事業が、これからのまちづくりの大きな原動力となるはずです。

(了)

 

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