212の21世紀〜マチは変われるか

第3部・情報編

 2.参加の梯子
 住民参加の原点は「知る」/行政との間で情報を共有


 自治体財政は、確かに分かりにくいのですが、まちづくりの基盤を成しています。だからこそニセコ町や臼杵市は財政情報の提供に力を注いでいるわけです。また、本稿の第一部を「財政編」としたのも、同じ考えに立ったからです。

 しかし、残念ながら多くの自治体は、財政情報の公開にあまり積極的とはいえません。特に、苦しい台所の裏側をさらすことにもなる決算については、住民に向けた分かりやすい説明はあまり行われていないようです。

 市町村は決算の詳細な内容ととともに公共施設の整備状況や職員の配置状況などを一覧にした「決算カード」というものを毎年作成し、自治省に報告しています。これは自治体を人間にたとえると健康状態を細かに記録した「カルテ」のようなものです。

 ■埋もれている「カルテ」

 ところが、このカードを積極的に公開している自治体はほぼゼロに近い状態です。情報公開条例がある自治体では開示請求に基づいて入手は可能ですが、本来公にできない性質の物ではありません。時差はあるものの刊行物にもなっています。

 住民向けにはもう少し様式を変えるのがベターでしょうが、現行のスタイルでも解説を付すだけで十分に説明資料として活用できるはずです。埼玉県所沢市がホームページ上で「決算カード」を公開しながら財政を解説している例などと比べると、開示請求をしなければ入手できない仕組みはあまりにも貧困ではないでしょうか。

 まちづくりを進める上では、「住民参加」がキーワードになることをこれまで強調してきました。また、住民参加を着実に進める前提条件として、行政と住民が情報を共有することが重要な意味を持っています。そうした意味では、ニセコ町や臼杵市の試みは、住民参加の第一段階の取り組みと言っていいでしょう。

 住民参加の概念については、米国の社会学者のシェリー・アーンスタインが「参加の梯子」という表現で分かりやすく説明しています。八段から成る梯子の最下段は、「世論操作」の段階と位置付けられています。「住民参加」の名を借りた権力者による支配・統制の状態を示しています。その一段上の「セラピー(住民の不満をそらす操作)」とともに、実質的には参加不在の状態を意味しています。


 ■住民に権限を与える

 中位には、「一方通行的な情報提供」、「形式的な意見聴取」などがあり、六段目の「パートナーシップ」から「権限移譲」へと続く段階でようやく住民の権利として参加が認められます。最上段は住民が主体となって主導する段階としています。

 アーンスタインは「住民の参加とは、住民に対して目標を達成できる権力を与えること」と定義しています。これを地域づくりや都市開発に当てはめれば、住民が住みたいと思い、こうあって欲しいと考える目標の実現について住民に対し一定の実行力を与えることを指しているといって良いでしょう。 

 米国では、住民参加がまちづくりのシステムとして定着しています。計画づくりの段階から住民を参画させ、代替案提案や監視の権限を与えることが、結果として全体の作業を効率化してます。
 一方、日本の地方自治をめぐる現状に目を向ければ、果たして私たちの社会は「参加の梯子」のどのレベルにあるのでしょうか。一方通行の情報提供や形ばかりの審議会が「住民参加」の名を借りて進められてはいないでしょうか。