来るか 地域主権時代〜藤沢町に見た住民自治の姿

【1.「不思議の国」を訪ねて】

地域メディア研究所代表 梶田博昭

2002/09/17
(オンラインプレス「NEXT212」94号掲載)

 

 憲法が地方自治をうたい、分権時代の到来が告げられても、中央が地方を規定し、制度が住民を縛り、一方で、地方は中央を、住民は役所を頼む構造は、根深く残っているように思えます。過疎は町村住民の活力を奪い、過密は都市住民の人間関係を希薄にさせた。現実をそうとらえると、さまざまな報告書に描かれた岩手県藤沢町は「不思議の国」であり、私にとって現地調査は、その謎と虚像を暴く「ミステリーツアー」でもありました。

 ■言葉や制度超越、本物の自治定着

  ところが、現実に目の当たりにした藤沢町は、中山間地域の過疎の町ではありますが、そこには「地域の問題は自分たちの知恵と力を寄せ集めて解決していく」という、住民自治の考えがしっかりと根付いていました。しかも、70世帯ほどの自治会を単位に、身の回りの問題解決だけでなく、相互に連携し合いながら、福祉の分野だけにとどまらず産業や教育・文化の振興にも着実に成果を上げていることは、目を見張るものがありました。

 町長のリーダーシップと役場職員の努力も大きかったと思いますが、30年も前に分権時代の課題を先取りしていたことは大きな驚きでした。住民や職員との話を重ねるに連れ、「アカウンタビリティ」だとか「パブリック・コメント」あるいは「権利としての住民参加」といった言葉さえ空疎に思えるほど、住民自治は当たり前で、ごく自然なこととして定着していることを感じました。

 ■危機意識の共有を出発点に

 しかし、謎と虚像を覆っていた霧が晴れるに連れて、今度は、「藤沢方式」が北海道における住民自治実現のモデルに果たしてなり得るのか、といった疑問も生じてきました。  藤沢町の人々の経験を基に考えたとき、その可能性を開くカギは、住民と行政による危機意識の共有と首長の強力なリーダーシップ、それに職員の意識改革にあると思います。もう一つ見逃せないのは、暮らしの基盤となる雇用・産業の場を守り・生み出すことができてはじめて、コミュニティが存続し、住民の参加の意欲を高めたこと。改めて、地域の産業政策の重要性を痛感しました。

 

 

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