来るか 地域主権時代〜藤沢町に見た住民自治の姿

【2.コミュニティの特徴-3】

地域メディア研究所代表 梶田博昭

2002/09/17
(オンラインプレス「NEXT212」94号掲載)

 

 <2>再編のきっかけ〜共助の伝統と精神を住民自治に発展させた

 藤沢町のように地縁関係で強く結ばれた地域共同体は、明治以降も全国各地に残り、戦後も息づいてきたと見られます。しかし、伝統的な地域共同体は、自治の習慣と同時に、地域内の上下関係といった非民主的な要素も合わせ持ってきました。藤沢町においても「だんな衆」と呼ばれる地域ボス的な存在が戦後も見られましたが、自治会の組織化に当たって自治の習慣の良い面だけを巧みに生かして、住民自治に発展させた点が、大きな特徴です。

 「いいとこ取り」がうまく進んだ要因は、次の3点にあると考えられます。 

 1.議論の「場」を持つことで「負のしきたり」を断ち切った

 それまで住民同士の談義の場は、だんな衆の家で行われてきましたが、神社の一角や集会所など自由に論議できる場を設けたことが、本物の住民自治を手に入れる大きな背景になったとされます。これは古いしきたりからの解放でもあり、やがて「ミニ計画づくり」の舞台となり、まちづくりに参加する喜びと責任感を住民に根付かせる基盤ともなったと考えられます。

 2.過疎という新たな危機がコミュニティ再編のきっかけとなった

  過疎の進行により1万6千人いた人口は急減し、離農しない農家でも主人は出稼ぎに頼らざるを得ず、地域共同体の生活の基盤は大きく揺らぎました。農業の再構築をどう進めるのか、高齢化社会どう支えていくのか。他の多くの過疎地が、住民の連帯感さえ失っていく中で、藤沢町は北上川の氾濫に共同で対処したと同様に、過疎化の危機をきっかけに自治会を核に結束を強める道を選んだのです。

 3.強力なリーダーが住民自治を押し進めた

 危機をばねに住民の連帯感と自治意識を高め、自治活動の基本単位となる自治会を組織化したのは、佐藤守町長(当時は助役)のリーダーシップでした。役場人事・機構の改革、古い政治構造、行政制度の打破、職員の意識改革など、住民の視点に立った政策を次々と打ち出しました。

●フォーラムは重要な舞台

  藤沢町では下から沸き起こるようなムーブメントもありましたが、やはり独自の発想と英断で住民・地域・町を方向付けた町長の存在が大きいと思います。もう一つは、自由に議論のできる場・フォーラムの存在も軽視できません。地域担当の職員が行政との間に立って絶妙の役割を果たしたコミュニケーター機能とともに、フォラーム機能をどう設定するかが、住民参加の舞台づくりにとって重要ではないでしょうか。

 また、「危機」の存在が一つのキーワードであり、財政難・市町村合併などを今日的な「危機」として、コミュニティの再生に反転させることも可能です。

 

 

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