市町村合併問題を中心に、京極、倶知安、ニセコの3町長が公開の場で意見を交わす3回目の「将来の行政体制を考える首長懇談会」が10月6日、ゲストに関西学院大の小西砂千夫教授を迎えて、倶知安町文化福祉センターで開かれました。同懇談会は今回が最終回で、管内町村職員、住民ら約400人が来場しました。
3首長は@合併の是非を判断するための情報を広く住民に提供することなどを目的に、3町合同の研究会的な組織を設置するAアンケートなど何らかの方法で住民の意思を確認する-の2点で合意しました。小西教授の発言要旨を紹介します。 |
講師:小西 砂千夫 関西学院大学教授
テーマ:「市町村合併 国の立場・市町村の立場」
【基調講演、意見交換での発言要旨です】
■放置されてきた過疎、過密
現在、全国約3,000の市町村のうち、40%にあたる約1,200の市町村が、合併について何らかの形で検討を始めている。中にはポーズだけのところもあるが…。この3町のように、する、しないは別にして、まず町長同士がこうして住民の前で論議することは高く評価できる。
本来、合併は、まず広域的なまちづくりが先にあるべきだ。鼻先にニンジンをぶら下げて合併しろという国のやり方は不正義だ。広域的なまちづくりを進め、住民に一体感が出る努力を重ねてから、「合併はどうか」という話になるのが本来の姿だ。
だが、私も財政屋だから、きれいごとばかりも言っていられない。今、地方自治体の仕事のボリュームは、ものすごく大きい。昭和の大合併があった昭和30年代、町村の人口の基準は8,000人だった。全国的に大合併を進め、国はたくさんの仕事をふってきた。ところが、現在の仕事は、当時の3、4倍にもなっている。当時の人口の基準を下回っている町村でもそれは同じだ。過疎、過密の弊害だが、国や道はその問題を放棄してきた。それを今になって、「3年以内でやれ、お土産もつける」と。良くそんなことが言えるものだが、首長にしてみれば、住民の前では、泣き言も言えないというところだろう。
■合併すべきでないケース
市町村にも合併できるところと、そうでないところがある。ある村の例を挙げよう。人口はわずか1,200人。村の職員は必死で人口を減らすまいと努力し、村づくりにも相当な意欲で取り組んでいる。ところが、その隣りの市は、ルーチンワークさえやればいいという仕事ぶり。村の職員は、(合併して)あんなやる気のない市職員といっしょに仕事ができるかと。もっともだ。これが合併しない方がいい場合の唯一の例だ。
一所懸命な少数職員と、何もしない多数職員がいっしょになれば、一生懸命が薄れる。逆に、(数が多い)市職員の方がやる気満々で、村職員がルーチンなら合併した方がいいだろう。両方とも「意欲がある」場合は問題はない。ともに「意欲がない」場合にしても、別のところで合併のメリットは出てくる。やる気のある小さな村職員が、やる気のない多くの市職員にのみこまれてしまうようケースだけは、村として頑張った方がいい。この時期、合併をしないという決断は相当な覚悟がいる。その覚悟をしてまで「守るべき自治がある」と胸を張る、本来そうであってほしいという気もある。
■地方交付税制度は破綻
合併は何のためにするのか。それは役所の強化に他ならない。自治体の規模によってスタッフの数は違う。それでいて、やっている仕事の種類は同じ。小さい町村は無理をしていることになる。この(倶知安、ニセコ、京極)3町の職員が同じ能力なら、役所は大きいほうがいい。
私の専門は財政。その立場で言わせてもらうが、地方交付税は、すでに制度として破綻している。維持できるわけがない。もう増税か、歳出カットしかない。そのカットだが、2つの方法がある。日本中均等に減額するのであれば、合併は関係ないが、どうも小規模自治体ほど厳しくなるような状況にある。都市と小規模町村では、職員1人に対する住民数が大きく違う。これまではそうした格差を補正して交付税を算出していたが、その単位を見直す流れになってきている。小規模自治体は職員数を減らし、さらに限界以上の仕事をしなければならなくなる。何もしなければ、小規模自治体が財政赤字に陥るのは避けられない情勢だ。
いい合併は、この時代に合った新しいまちを作っていこうという意志と、ゼロから作るという希望を役所から住民までが持てれば、必ずできる。そういう雰囲気になれるか、なれないか、それを真剣に考えてほしい。自分のことばかり主張するような話し合いではいくらやっても意味がない。住民は首長になったつもりで、首長は自身の手の内を示して協議を進めてほしい。
*参考 小西教授も参加し、2月に札幌市で開かれた市町村合併シンポのレポート
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