まちづくり講演録 (2)「柳川堀割物語」に見る住民自治の姿 |
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2004/07/20 |
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映画「柳川堀割物語」(1987年公開)は、「千と千尋の神隠し」などのアニメ作品で知られる宮崎駿・高畑勲コンビによる制作・監督作品。最初のヒット作「風の谷のナウシカ」(84年)の興行収入をつぎ込んだドキュメンタリー映画で、400年の歴史を持つ福岡県柳川市の堀割を埋め立ての危機から保存・再生した住民の物語となっている。いわば、住民と行政による協働のまちづくりの先駆けともいえる。 <1>出前講座重ね市民事業へ道筋付ける堀割は元々、中心にあるお城を防衛するための堀として、さらには水上交通・運輸、飲料水の確保、防災など多目的な治水・利水機能を持っていた。全長470キロにも及ぶが、戦後は徐々に無用の長物と化し、汚染が進んだ。70年代には大規模な下水道計画が浮上し、水路の大半を埋め立てることが決まった。 ■起点は一職員の「反乱」からこのとき、市の都市下水道係長だった広松伝さんが、計画に待ったをかけた。当時の新聞紙上には「係長の抵抗」「係長の反乱」などの見出しが踊り、大きな注目を集めた。映画では、住民が自ら堀割の保存に立ち上がり、大型公共事業に代わる「市民事業」を展開していく様を、つぶさに描き出している。 住民自治の視点に立つと、コミュニティが問題を解決していく過程は、次のようなステップで考えることができる。 起〜迫り来る危機や問題との対峙 映画においても、一見「無用の長物」と化し、悪臭と汚染が著しい堀割との「折り合い」を柳川市民がどう付けるかがストーリーの軸となり、見事な「起承転結」を際立たせた。 ■大型公共事業が最善の策なのか物語の序章(起)では、堀割の急速な環境悪化という問題と同時に、暮らしと密接に関わってきた堀割を失うことに対する不安が焦点となる。漠然とした住民の不安が、広松係長の問題提起によってコミュニティの危機として捕らえられていく。この場面では、100回以上にも及んだ広松係長らの「出前講座」の積み重ねが、重要なポイントとなっている。 第2章(承)では、行政と住民との懇談会などを通じて、危機を回避するための知恵が集められる。埋め立て・下水道化が最善の解決策にも見えたが、住民は、堀割の本来の機能を回復させることで、堀割を守るとともに生活環境を改善する道を選んだ。第3章(転)では、行政と住民がともに汗を流し、堀割を再生していく。単にごみを除去するだけでなく、周囲の景観や公園なども「市民事業」として進められた。 「柳川堀割物語」の最終章(結)では、柳川の暮らしと文化を根底で支えてきた堀割がよみがえり、堀割再生と足並みをそろえるようにして若者がふるさとに還り、すたれかけていた祭りのにぎわいが戻ってきた。 ■事業費5分の1、新たな価値生み出す住民自治の視点に立つと、次のような点が注目できる。
特に、堀割再生の取り組みを「市民事業」として見た場合、当初の下水道整備計画で20億円の税金を投入しようとした公共事業に比べ、費用はおよそ5分の1で済み、しかも短期間で目標を実現したことは、公共サービスの再編を考える上で、重要なポイントだ。経済波及効果の面でも、大型土木工事が地元に落とすカネが一時的なものなのに対して、堀割の保存がもたらした水郷文化とゆとり空間の方がはるかに大きな価値を生み出しているように思える。
■祭りに表れるコミュニティの活力また、まちづくりのエネルギーの結集という点では、柳川においても住民同士の間の「絆」が重要な要素となっていることが見て取れる。 映画の中で宮崎駿は、地域の人々の間の連帯を育んできた「祭」の衰退と堀割の荒廃とを関連付け、自治意識の薄れが、行政頼み・公共事業依存につながったと見ている。また、北海道大学の宮脇淳教授は、著書「公共経営論」の中で「戦後日本では行政の関与する領域が拡大する一方で、国民・住民の行政依存は強まり、地域のコミュニティの形骸化が進む中で、公共サービスの行政サービス化が進んでいる」と同様の指摘をしている。 学者とは違った視点からではあるが、祭や村といった日本の原風景に目を向けてきた宮崎監督だからこそ、住民自治と公共サービスの関わりやその変質に気付いたのだと思う。 改めて、戦後日本における公共サービスの変遷をたどると、次のように区分できる。 第1段階は、水道や電気、道路、教育などの分野を中心とした「シビルミニマムの量的充足」の時代。続いて、医療や福祉、環境、文化など「シビルミニマムの質的充足」の時代。そして、現代は、介護や子育て支援に象徴される「シビルサポート」の時代へと踏み込んでいる。 ■行政肥大化・お上頼みの悪循環を断つ政治学者の松下圭一・法政大学名誉教授が「医療は元々ゲンノショウコ、道路はヨイトマケだった」(日本の自治・分権)というように、介護や子育ての問題も本来は家族や地域の中で解決されてきた。ところが、過疎化・核家族化・高齢化が進んだ現代では「私」や「周りのみんな」で手に負えない問題となってきている。 「公共サービスの行政サービス化」が進んだ結果、行政サービスは他分野に及んで総量は増大し、専門化していった。さらに、加速するこの流れは、「社会コストの増大」と「コミュニティの劣化」という双子の問題児を生み出した。特に、コミュニティの劣化は、地域の自治機能の低下がさらにオカミ頼み・行政の肥大化につながるという悪循環を招いている。 宮崎監督が柳川堀割物語で警鐘を鳴らした問題が、実は今も根本的に解決されず、合併問題や税財源をめぐる都市と地方の対立、世代間のひずみを象徴する年金問題などの形で吹き出してきているのが、現在の状況といえる。 ■NPO、アウトソーシングに落とし穴こうした状況下で、多くの自治体が公共サービスの再編に取り組みつつある。住民ニーズの拡大・多様化に伴ってこれまで行政が抱え込んできた公共サービスのあり方を見直し、再編することが解決策の柱となっているが、現状はどうか。一般的には、厳しい台所を抱えた自治体が、尻に付いた火を消すことに腐心する余り、「行財政改革」という名の「切り詰め型リストラ行政」に走っているケースも少なくない。再編の方策としてNPOやアウトソーシングに対する関心が高まっているが、都合の良い「受け皿」に対する安易な「下請け」に走ってはいないか。 宮崎駿の視点に立てば、行財政改革と住民自治を変革の両輪にして、コミュニティの再生と公共サービスの再編を同時進行させることこそが重要だと思う。
註:本稿は、「NEXT212」主筆・梶田博昭(地域メディア研究所代表)による最近の講演録を再構成したものです |
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