続・市町村合併の論点12
合併協解散の背景(1)

2003/08/18
(オンラインプレス「NEXT212」133号掲載)

 

 <1>福島県東白川郡〜行政と民意の乖離を露呈

 福島県南部の東白川郡では、矢祭町の「合併しない宣言」が大きな話題を呼びましたが、残る棚倉町、塙町、鮫川村は2002年7月に法定合併協議会を設置しました。人口合わせて3万人余、特例措置による市昇格の可能性を求めて議論を重ねましたが、この7月の住民投票で塙、鮫川の住民は合併に「NO」の判断を示し、法定協は解散に追い込まれました。

 ■反対71%の鮫川村長は辞職

 投票の結果をみると、有効投票に占める「合併賛成」票の割合は、棚倉町(投票率65.4%)が67%、塙町(同72.7%)が45%、鮫川村(同81.8%)が29%。投票率、反対票の割合から見ても、鮫川村の住民が明確な姿勢を示し、合併による周辺部・小規模村の過疎急進に危機感を抱いていることがうかがえます。

 4月に再選されたばかりの芳賀文雄・鮫川村長は、住民投票の結果を受けて辞職しました。合併協議が白紙に戻ったことによる引責を否定しつつも、合併に対する住民との間に意識のギャップがあったことは認めざるを得なかったようです。

 ■協議12回、ゴールへ一直線

 それにしても、合併推進の立場を取る芳賀村長が、4月に無投票で5選を果たした経緯に照らし合わせると、「民意」とのギャップがあまりに大きいことに驚かされます。住民投票の結果が芳賀村長に対する実質的な「不信任決議」とすれば、4月の村長選以降に支持率が急反落したということでしょうか。

 もっとも、行政と民意の「ねじれ」は、鮫川町だけに限ったことではなさそうです。1年間にわたり法定協の合併論議が重ねられ、12回に及んだ協議の内容を見ると、合併に対する異論・不安・疑問の声はあまり聞かれず、むしろゴールに向かって邁進していく様子がうかがえます。
 3町村合計でも47%を占めた「反対票」は、合併そのものよりも、合併論議に対する「疑問票」だったのではないでしょうか。

  <2> 新たな知恵を生み出す工夫を

 棚倉・塙・鮫川3町村の合併協議会では、6月までの12開催で48項目のうち45項目までの協議を終えました。5月には新市建設計画も盛り込んだパンフレットを全戸配布するとともに、延べ50回以上の住民説明会も開催しました。

 ■「役場の足し算」に陥ってないか

 協議会の議事録を読み返して気付いたことを整理すると、次のようになります。


 (1)制度の調整的な作業が中心となっている
 (2)その半面、新市計画に関する議論が希薄
 (3)意見や考えの多様性があまり見られない
 (4)新たな知恵を生み出すような議論が乏しい

 さまざまな事務事業の取り扱いなど自治体間の違いを調整することは確かに重要な課題ではありますが、総じて「役所の合併」のための協議に多くの時間を費やした印象がぬぐえません。合併後の住民自治によるまちづくりをどう実現していくのか。肝心な新市計画と地域審議会の議論を積み残したまま、住民説明会・住民投票を実施しても、明確な判断を求めるのは難しいのではないか。そんな疑問を感じます。

 現に、説明会の世帯参加率は、棚倉、塙が20%、鮫川で35%にとどまり、説明も財政的な現状と課題や合併のしくみについての一般的な説明が中心となったようです。

 ■「まちづくりの足し算」へ

 確かに、合併をめぐる議論は、前提条件や将来予測が不明瞭な中で一定の結論を性急に求められている側面は否定できません。「役所の合併」と割り切る考えも行政としては現実的な対応かも知れません。

 しかし、マイナス同士の役所をくっつけて全体のマイナスをいかに小さくするかという議論よりも、プラスの潜在力をどう組み合わせて総和を大きくするかを議論することの方が、大切なのでは。仮に結果として不調に終わったとしても、 それぞれの潜在力を見つけ出せただけでも、議論した意義があるのではないでしょうか。

 棚倉・塙・鮫川の合併協の場合も、せっかく住民の代表も加わったのですから、「役場の足し算」は事務方に任せて、「まちづくりの足し算」にこそ、もう少し知恵を寄せ集めていたなら、多くの住民の受け止め方も違ったように思えます。

 新市計画の策定も、住民自信が足元を見つめ直し、そこから地域の将来像を描く作業ですから、行政では見えなかった問題点や解決法が浮かび上がってくるはずです。合併協が解散されても、新たなページをめくるには、不可欠の要素だと思います。この1年間の経験を次のステップに生かして欲しいものです。

 

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